東海大学観光学部観光学科 田中伸彦ゼミ

2012年4月 田中ゼミがスタートしました。 2013年3月にホームページをアップしました。

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「観光学」を学ぶ人のための「レジャー論」(その5) レジャーの思想的側面(古代ギリシャ・ローマ その1)

「観光学」を学ぶ人のための「レジャー論」(その5) レジャーの思想的側面(古代ギリシャ・ローマ その1)

「レジャーに対する労働の優位」は絶対的価値観か? というテーマについて考えたい。

 

現代の日本は、仕事中心に世の中が回ってる。

夜遅くまで毎日仕事をしていて家に帰ってこないお父さんがたくさんいる。

有給休暇を全て消化しない社会人がたくさんいる。

就活のために大学の講義を休むことは半ば公認されている。 などなど。

レジャーに対する労働の優位は日本国内くまなく蔓延している。皆もこの事実を疑うことなく受け止めてきたのではないだろうか。しかしながら、この「レジャーに対する労働の優位」というものは人類が誕生して以来の不変の原則なのであろうか?答えはNOである。観光学の学生には、このNOという事実をしっかり根拠を挙げて説明できるようになってほしい。

21世紀になって、我が国に観光学部が乱立し始めたのは「観光立国」という施策のためである。政府は「観光立国の実現」は国家的課題であり、21 世紀の我が国経済社会の発展のために不可欠であると考えている。そのため、21世紀の日本の観光産業を担う人材を養成するために高等教育で観光を教える動きが加速したわけである。

高等教育で観光学を修めた学生は、未来の日本の観光の行く末に大きな影響を与える可能性が高い。つまり、君たちがおしなべて「レジャーに対する労働の優位」が人類普遍の価値観だと万が一認識してしまうと、日本の観光は殺伐としたものになってしまうであろう。

人は経済効果を高めるために「観光」をしているのだろうか?

仕事のついでに「商用」観光に行く様なことが、なぜ行われるのか?

仕事を休んで旅行に行くと、「**に行ってきました」と箱に書かれたお菓子など、罪滅ぼしの「土産」を買ってくる。こんな不思議な習慣が人間の生活を豊かにするのか。

仕事で「忙しい」ことが美徳の日本。でも旅で見聞を広めた方が人間の幅が広くなるのではないか。忙しいまま死んでいってもいいのか?

「観光」は、日本では経済効果を上げるための手段にすぎないのか?「観光学」を修めた君たちは、会社の売り上げを上げさえすれば、人間性を豊かにしないツアーを売り続けて良いのか?

この不思議な状況を真摯に受け止め、将来の観光産業のあり方について深く思いを巡らせることができる人間に成長してほしい。

そのために、過去の歴史を振り返り、レジャーの思想的変遷について学んでもらう。

今回から次回にかけては、遙か古代にさかのぼる。古代ギリシャ、古代ローマ時代におけるレジャーに対する代表的価値観を、ごく簡単であるが紹介する。なぜ日本ではなく、欧米なのか。これにはいくつか理由がある。まず、古代ギリシャや古代ローマ時代、つまり縄文時代や弥生時代には、日本には文献が残っていないのである。そのため縄文人や弥生人のレジャー観は検証しようがないのである。実はこの状況は中世においても継続される。例えば禅宗の考えに「不立文字」という考え方がある、「明文化された思想は、解釈次第で都合良く変わってしまうので、あえて文字を立てない」という考え方である。この様な考えが浸透しているためか、日本には哲学やロゴスの世界は成立しづらく、論理的な思想史をたどることが難しいのである。

なお、「日本人の心の歴史」については有名な著書もあるのでそちらを参照されたい。

ギリシャ語でレジャーはSchole(スコーレ)と呼ばれていた。ラテン語ではOtium(オティウム)ないしはLicere(リセーレ)と呼ばれていた。

スコーレは現代英語ではschoolにつながる。「自由時間をいかに人間らしく生きるか」を考え、自己を高めるために集まる場所、それがschoolである。その頂点にある大学は、実のところ究極のレジャーランドなのである。現在は、「自己を高める」というよりは「怠惰な娯楽を享受する」という意味で「大学のレジャーランド化」が憂慮されているが、これからの大学は本来の意味でのレジャーランドを目指すべきであろう。

ところで話を変えると、当時の「労働」はなんと言われていたのだろうか。「ascholia:アスコリア」つまり、Not leisure(レジャーの否定形)で表現されていたのである。労働という概念には独立した言葉がなかったわけである。この当時、人々の意識の中心には「レジャー」があり、その周縁概念として「労働」があったのである。ギリシャ時代は「労働に対してレジャーが優位」だった時代といえる。

これと同じことは、ラテン語の「Otium(オティウム)」にも当てはまる。レジャーつまり「Otium(オティウム)」の否定形が、仕事に当たる「negotium」。現在のnegotiationである。仕事はあくまでもレジャーの付加物であったわけである。

加えて言えば、ラテン語ではレジャーは「Licere(リセーレ)」とも呼ばれている。現在フランスの後期中等教育機関、lycéeつまりschoolにも繋がる言葉であるが、英語ではライセンスlicenseの語源となった言葉である。「人間が人間らしく自由に生きることを許容されること」それがリセーレなのである。

人間が人間らしく自由に生きるための手助けをすること。それが観光関連産業に携わる者に求められている能力なのではないだろうか。

 

 

 

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