東海大学観光学部観光学科 田中伸彦ゼミ

2012年4月 田中ゼミがスタートしました。 2013年3月にホームページをアップしました。

本拠地 

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TEL.

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「観光学」って何をしてるの(8) 観光学を専門とした教員が十分いない点

「観光学」って何をしてるの(8) 観光学を専門とした教員が十分いない点

今回はある意味、禁断の話題である。「観光学って何をしているの」かが分からない理由は、何も学生のせいだけではなく、教員の側にもあるような気がしてならない。本日のコラムでは、

7. 新設学部・学科の多い日本の観光系大学の中には、元々観光学を専門にしていない教員が配属されることも少なくなく、結果学生が何を学んでいるのか理解できなくなる点

について解説してみたい。

 

以下の講義ないしは教員に出くわした場合は要注意である。

・自分の企業での体験談をそのまま学生に伝えている →(無垢な学生には人気はあるが)そんな話は就職後の上司の飲み話でいやと言うほど聞かされる。それが現実なので、学生時代に体験談を聞いても、就職後に自分の身に残る学問的価値は、ほぼゼロの講義である。

・理論や知識を深めるはずの講義科目なのに、自分でしゃべらずやたらと社会人外部講師を呼んでくる → 担当教員にすべてをのコマを埋める学術的中身のない証拠(ただし、社会人の「ココだけトーク」は、あまり勉強好きでなく、TVのバラエティ番組好きな学生に大人気の講義となる)。本来は話しに来た社会人が聴講したくなるような水準の講義を、専任教員自身が提供しなければならない。

・屋外に連れ出すだけ連れ出すが、理論背景を伝えない → 「観光学は実践だ!」と息巻いて屋外に出かけ、まちづくりの手伝いをさせたり自然散策をさせたりするが、理論的背景を全く教えない(教えられない)。そして「現場で得た経験が学生の糧となる」とお茶を濁す。(確かに「感じる」ことは「知る」ことよりも何倍も大切である(byレイチェル・カーソン)。でも「感じる」だけでは、「思うて学ばざれば則ち殆し」の状況に陥る(by孔子))このような講義ばかり行う教員は自分の活動が素晴らしいと思い、満足している(酔っている)ことが多いので危険。

・「学生提案のツアー企画」などを講義最大の売りとする → 学生提案のコンペなどに参画させること自体は非常に良い取り組みだと思う。ただ、「学生提案のツアー企画」は、「提案者が学生でない場合には相手にされない企画」であることも多いので、講義の売りとするのはちょっと恥ずかしい。もう一歩上の専門的職能を与えなければいけない。

・長期の宿泊型研修に参加して単位を取ったが普通の旅行とたいして変わらなかった → 珍しい場所に連れて行けば、自分が学生に教育を施したと勘違いする教員が少なからずいる。学生だけでそこに行っても同じ学習効果が得られる。教員は必要ない。

・大学HPの教員研究業績欄やCiNiiやREAD&RESEARCHMAP等を見ても、学術論文がない(あっても紀要や図書の分担執筆程度) → 他者からピアレビュー(学術内容の審査)を受けてそれにパスして初めて掲載される学術論文をコンスタントに出せない教員が、どのように卒論指導をしているのか不思議である。

・(実務家出身でもないのに)博士号がなく、その割にはやたらと権威ぶる(威張る) → 学問に対する謙虚さがないと同時に、同じ分野の研究者同士で比較した場合に実力に欠ける人材である場合が多い。

・出身分野の学問にすがりつく → 「私は元々**学だから」と、頻繁に言う教員は要注意。元々の**学の世界に残れずはじき出されてきた可能性が大。そんな人に教わるのであれば元々の**学部に進学した方がまし。加えて言えば、このような言動を頻繁にする人は、観光学に自信がないからこそ、そう言い続けるのである。

・統計学の基礎が分からない → 観光学であればどのような学問基礎に立っていても統計学の基礎知識は必要。複雑な多変量解析をすべて数式で説明できなくとも良いが、最低限どの様な解析手法なのかを理解しておくのが教員としての常識ではないか。その様な教員につくと、例えば学生が卒論でアンケートをしても、ろくな結果をまとめられなくなる。

まだまだ挙げられそうだが、このぐらいに止めておこう。もちろん、124単位を取得せねばならない大学4年間の講義の中では、部分的に社会人講師を呼ぶ科目があろうし、実習・研修で屋外に出ることもあるだろう。その行為自体を否定しているわけではない。問題となるのはTPOをわきまえていない講義、提供内容の質が低い教員である。

上記すべてを一言でまとめれば、「観光業にいたが学問を修めていない実務系教員と、他分野の学問はやってきたが観光が分からない研究系教員がいる」という事実である。誤解しないでほしいが、どちらも素晴らしい教員が観光学にはたくさんいる。一方で、上記のように帯に短したすきに長しの教員がいることも事実なのである。場合によっては「どちらも今ひとつ」、という人もいるかもしれない。

国立理系の学生からしてみると、上記の例に挙げたような人が大学教員に収まっていること自体が不思議というか「ありえない」事態であろう。しかし、観光学に身を置く様になり、様々な大学の教員と交流するようになってから、その様な人に少なからず出会ったのは事実である。

ちょっと考えれば分かることだが、観光系の学部・学科・コースなどを持つ大学や短大は、今や100に迫ろうかという勢いである。つい十数年ほど前にはほとんどなかったのであるから、教員となる人材をどこから持ってきたのか摩訶不思議な状況であることは間違いない。元々観光を研究していた教員や研究者もある程度はいるが、それで十分人員を埋められるとは思えない。

たった今、国立国会図書館のデータベースで検索したところ、現在、我が国で博士号を取得した人材は65万人ほどいるようであるが、そのうち「観光」をタイトルに入れた学位論文をまとめた人間は169人に過ぎない。169人いるとしても、すでに高齢の人もいるだろうしまだまだ若くポスドク段階の人もいるであろう。加えて外国人が少なくない。外国人が日本で教鞭を執ることもあるが、日本から離れる確率が高い。

観光に精通した博士でも、タイトルに観光を使わない場合もあるだろうから、それを加味する必要があるが、このような人数しかいないのであれば、首をひねる様な人材が何となく観光のポストに座っている場合も少なくないのではないか。

例えば、「経営学の知識があれば観光など片手間に教えられる」などと言うわけはない。それは観光に特化した経営学ではなく「観光に劣化した経営学」以外の何物でもない。そんな講義をとらなければいけないのであれば、経営学部に行けば良い。なぜなら、経営学部では、観光学部にはじき出されなかった本流の経営学者からの指導が受けられるに違いないからである。

以上今回の課題を述べてきたが、就活に跳びまわっている学生はどう対処すれば良いのか。それはちゃんとした教員の講義をとり、ちゃんとした教員のゼミで学問を深めることですよ。「もう100単位以上とってしまったし、ゼミ配属も決まっている」って?その場合には私も解決策がありません。良い講義を取り、良いゼミに当たっていれば良いですね。そうでない場合には、ご愁傷様。自分で選択した講義であり、ゼミであるのだから。大学とはそういうところです。

 

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