東海大学観光学部観光学科 田中伸彦ゼミ

2012年4月 田中ゼミがスタートしました。 2013年3月にホームページをアップしました。

本拠地 

〒151-8677 東京都渋谷区富ヶ谷2-28-4 東海大学観光学部 4号館3階 

TEL.03-3467-2211(代)

湘南キャンパス 〒259-1292 神奈川県平塚市北金目4-1-1 東海大学E館1階教員室1

 

TEL.

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シリーズ:「観光学」って何をしてるの

「観光学」って何をしてるの(9) 「観光学」の水準が、国際的には高くない点

本日は最後の話題、

8. そもそも日本の「観光学」の水準が、国際的には高いとはいえない点

について述べてみたい。今回も前回に引き続き、教員側から言えば禁断の話題になるかもしれないが...

 

我が国の大学における観光学は半世紀近く前までさかのぼることができるものの、いくつもの大学に観光学部・学科やコースが設立されるようになったのは21世紀に入ってからに過ぎない。日本では観光学は未熟で新しい分野であると言える。そのため、カリキュラムや教員の水準を、国際的に比較した場合には、出遅れ感が否めない状況にある。

例えば、もしあなたが、世界を股にかけるホテリエになりたい場合、その水準に十分見合ったホテル学を身につけられる大学が、日本にあると言えるだろうか?私個人の意見としては、日本の学部教育で終わりにせずに、コーネルやハーグ等の大学院に進むことをお勧めする。大学院に行くのは、一旦日本のホテルに就職してからでも良いかもしれない。そのほうが教育の意図が理解でき、自分の血肉になりやすいだろう。

いずれにせよ、高級シティホテル業界をはじめとして、観光に関連する業種は、国際水準で動いているところが少なくない。そういうところは、実力本位の学歴・資格ベースの世界である。どこで、何を身につけたかが、シビアに見られる。私自身は実業界に進まず、(国立)研究所→大学というキャリアを進んできた訳であるが、実力本位の世界は少なからず体験している。研究の世界もある意味国際的である。日本国内にノンビリ納まっている教員(文系学部には結構いる)が感じることは少ないが、国際学会や研究プロジェクトで海外に出かけたとき、例えば博士号を持っているか否か、教授であるか否かで大きく待遇が区別されることがある。そもそも呼ばれ方が、「ドクター**」「プロフェッサー**」であったり、「ミスター**」であったりするので、普通の会話の段階で明らかに区別されてしまうのが学術の世界である。「ミスター**」は基本的に学術界では一人前として相手にされないことが多い。2チャンネル風に書けば「プロフェッサー**」>「ドクター**」>>>>>「ミスター**」といった感じであろうか。もっとも、日本には「プロフェッサー・ミスター」という国際的には例外的な人種がたくさんいることを、多くの外国人は気づいてないようであるが。

学位や資格で判断することは国際社会では仕方のないことである。私だって、国際会議で初めて出会う外国人が、それなりの研究者なのか、学生レベルであるのか(外国では結構年のいった人が学生であることも少なくない)、単なる一般人なのか、見た目だけでは判断できない。そのため、博士号があるのか、どのような分野で博士論文を書いたのか、現在教えているのは大学なのかあるいは国立研究所などで働いているのかなどを、挨拶代わりに自己紹介し合うことになる。国際的な交流では仕方がないのである、日本人から見れば多くの西欧人は体が大きく貫禄がある。でもそんな人が博士号取得前の「ミスター」だったりするわけである。いずれにせよ、自己紹介の結果、互いにちゃんとした研究キャリアを積んでいて、かつ研究分野が近いと分かると、研究的なつきあいが始まることとなる。

このような交流の仕方はホテル業界でも変わらないであろう。ホテル業界では博士号にそれほどこだわることはなく、他の資格や職歴が重視されるのであろうが。

 

さて、話が脱線しかけているように見えるが、一応伏線を考えながら話をしてきたつもりである。「日本の「観光学」の水準が、国際的には高いとはいえない点」を解決するには、「教員側が対応すべき課題」と「学生側が行うべき課題」に分けられる。

実のところ、我々教員が「観光学部に入学してきたみんなに講義をすること」は容易い。相手が高校卒業の学力で、社会人経験がない無垢な学生なので、学術的に長けていない普通の社会人でも、皆を言いくるめることはさほど難しくないのである。教員は多くの場合いい歳なので「自分の知っている二次情報やよもやま話」を、適当に誤魔化し誤魔化し話していれば学生に対する優位は保てるものである。ただそれでは、本来のカリキュラムでは「大学の学士として最低限達成しなければいけない教養水準と専門水準」をクリアさせるために高度な内容に、学生を導いているかどうかはなはだ疑問である。

「大学の学士として最低限達成しなければいけない教養水準と専門水準」をクリアするために、我々教員はただティーチングを行うだけではなく、国際学会に出席して国際的な研究動向を確かめたり、論文投稿などをして国際的な研究水準の向上に貢献するという業務をしている。これらを「研究業務」というが、この研究業務なくしては大学で教鞭を執る水準は保てない。今も何本か抱えているが、国際誌の学術論文の査読を引き受けるのもその様な理由からである。審査内容を公開はできないが、何よりも早く最新の研究動向をつかむことができる。いずれにせよ、教員は国際的水準の維持のための努力を欠かすことはできない。

 

学生の課題は常日頃の講義やゼミに臨む態度である。皆さんには是非講義中、講義前後に積極的に質問をしてほしい。そうすれば教員側も手を抜けなくなり水準が上がる。オフィスアワーも積極的に活用してほしい。就活生だってまだまだ間に合う。面接やエントリーがうまくいくか行かないかの確率は、まともな教員とどれだけ対峙したかという経験で向上する。「自分よりも学生を伸ばしてていこうとしている教員」をうまく探そう。「たいした実績もないのに頼れる兄貴・親分を演じる人」には要注意である。そういう人は「巧みに普通のこと」をありがたそうに話すだけで、たいした実力の向上は望めない。実力のない人ほど話術を磨くと言うことがままあるので、引っかからないように注意しよう。講義ではなかなか伝えきれないが、ちゃんとした教員であれば「国際的な水準」を理解しているはずなので、現在の講義と国際水準とに、どの様なギャップがあるのかを解説してくれるだろう。

分かっていれば講義で教えれば良いではないかというお叱りが来そうであるが、そうはなかなかいかないのである。自分が持てる講義は6コマ程度である。他の科目は、科目として学生に直接教えることはないのである。さらに言えば、その数コマも、100人規模の大講義が少なくない。一定の水準を確保してきめ細かな指導を行うことは難しいのである。現状では、日本のマスプロ講義で水準の高い講義を提供するのは難しいのである。 「学生側に積極的に質問をしてほしい。」というのは切なる願いである。サンデル教授の講義DVDなどが評判になっているが、あれは積極的な学生が集まっているからこそできる講義である。東海大にもあのような講義を行いたい教員はいっぱいいると思う。

日本の観光学は、発展途上にある。かえってそういう学問は、ちゃんとした実力を持った教員を交えたディスカッションを行うことで、学生の水準が格段に向上する可能性が十分あるのである。是非とも教員を使い倒すぐらいの意気込みで講義に出席し、ディスカッションを行い、観光学の水準を上げる力になってほしい。入学からその様な実践を積んでいれば、就活の面接でひるむことはないはずである。

 

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以上、長々と続いたが、「観光学って何をしてるの?」と聞かれたときに、就活生が困っているという意見を聞いたので、その理由や背景を赴くままに覚書として綴ってみた。その場で書き下ろしていくため深い考察ができなかったり、重要な論点が抜けたり、話が脱線することも間々あったかと思う。その点についてはご容赦願いたい。就活は毎年続く。観光学部の学生は、毎年順番に「観光学とは何か」を就活面接で悩み続けるのであろう。その対応に際して、このブログが多少でも”タシ”になれば良いと願っている。

何はともあれ3月も終わる。この話題については一旦これでおしまいとする。

 

「観光学」って何をしてるの(8) 観光学を専門とした教員が十分いない点

今回はある意味、禁断の話題である。「観光学って何をしているの」かが分からない理由は、何も学生のせいだけではなく、教員の側にもあるような気がしてならない。本日のコラムでは、

7. 新設学部・学科の多い日本の観光系大学の中には、元々観光学を専門にしていない教員が配属されることも少なくなく、結果学生が何を学んでいるのか理解できなくなる点

について解説してみたい。

 

以下の講義ないしは教員に出くわした場合は要注意である。

・自分の企業での体験談をそのまま学生に伝えている →(無垢な学生には人気はあるが)そんな話は就職後の上司の飲み話でいやと言うほど聞かされる。それが現実なので、学生時代に体験談を聞いても、就職後に自分の身に残る学問的価値は、ほぼゼロの講義である。

・理論や知識を深めるはずの講義科目なのに、自分でしゃべらずやたらと社会人外部講師を呼んでくる → 担当教員にすべてをのコマを埋める学術的中身のない証拠(ただし、社会人の「ココだけトーク」は、あまり勉強好きでなく、TVのバラエティ番組好きな学生に大人気の講義となる)。本来は話しに来た社会人が聴講したくなるような水準の講義を、専任教員自身が提供しなければならない。

・屋外に連れ出すだけ連れ出すが、理論背景を伝えない → 「観光学は実践だ!」と息巻いて屋外に出かけ、まちづくりの手伝いをさせたり自然散策をさせたりするが、理論的背景を全く教えない(教えられない)。そして「現場で得た経験が学生の糧となる」とお茶を濁す。(確かに「感じる」ことは「知る」ことよりも何倍も大切である(byレイチェル・カーソン)。でも「感じる」だけでは、「思うて学ばざれば則ち殆し」の状況に陥る(by孔子))このような講義ばかり行う教員は自分の活動が素晴らしいと思い、満足している(酔っている)ことが多いので危険。

・「学生提案のツアー企画」などを講義最大の売りとする → 学生提案のコンペなどに参画させること自体は非常に良い取り組みだと思う。ただ、「学生提案のツアー企画」は、「提案者が学生でない場合には相手にされない企画」であることも多いので、講義の売りとするのはちょっと恥ずかしい。もう一歩上の専門的職能を与えなければいけない。

・長期の宿泊型研修に参加して単位を取ったが普通の旅行とたいして変わらなかった → 珍しい場所に連れて行けば、自分が学生に教育を施したと勘違いする教員が少なからずいる。学生だけでそこに行っても同じ学習効果が得られる。教員は必要ない。

・大学HPの教員研究業績欄やCiNiiやREAD&RESEARCHMAP等を見ても、学術論文がない(あっても紀要や図書の分担執筆程度) → 他者からピアレビュー(学術内容の審査)を受けてそれにパスして初めて掲載される学術論文をコンスタントに出せない教員が、どのように卒論指導をしているのか不思議である。

・(実務家出身でもないのに)博士号がなく、その割にはやたらと権威ぶる(威張る) → 学問に対する謙虚さがないと同時に、同じ分野の研究者同士で比較した場合に実力に欠ける人材である場合が多い。

・出身分野の学問にすがりつく → 「私は元々**学だから」と、頻繁に言う教員は要注意。元々の**学の世界に残れずはじき出されてきた可能性が大。そんな人に教わるのであれば元々の**学部に進学した方がまし。加えて言えば、このような言動を頻繁にする人は、観光学に自信がないからこそ、そう言い続けるのである。

・統計学の基礎が分からない → 観光学であればどのような学問基礎に立っていても統計学の基礎知識は必要。複雑な多変量解析をすべて数式で説明できなくとも良いが、最低限どの様な解析手法なのかを理解しておくのが教員としての常識ではないか。その様な教員につくと、例えば学生が卒論でアンケートをしても、ろくな結果をまとめられなくなる。

まだまだ挙げられそうだが、このぐらいに止めておこう。もちろん、124単位を取得せねばならない大学4年間の講義の中では、部分的に社会人講師を呼ぶ科目があろうし、実習・研修で屋外に出ることもあるだろう。その行為自体を否定しているわけではない。問題となるのはTPOをわきまえていない講義、提供内容の質が低い教員である。

上記すべてを一言でまとめれば、「観光業にいたが学問を修めていない実務系教員と、他分野の学問はやってきたが観光が分からない研究系教員がいる」という事実である。誤解しないでほしいが、どちらも素晴らしい教員が観光学にはたくさんいる。一方で、上記のように帯に短したすきに長しの教員がいることも事実なのである。場合によっては「どちらも今ひとつ」、という人もいるかもしれない。

国立理系の学生からしてみると、上記の例に挙げたような人が大学教員に収まっていること自体が不思議というか「ありえない」事態であろう。しかし、観光学に身を置く様になり、様々な大学の教員と交流するようになってから、その様な人に少なからず出会ったのは事実である。

ちょっと考えれば分かることだが、観光系の学部・学科・コースなどを持つ大学や短大は、今や100に迫ろうかという勢いである。つい十数年ほど前にはほとんどなかったのであるから、教員となる人材をどこから持ってきたのか摩訶不思議な状況であることは間違いない。元々観光を研究していた教員や研究者もある程度はいるが、それで十分人員を埋められるとは思えない。

たった今、国立国会図書館のデータベースで検索したところ、現在、我が国で博士号を取得した人材は65万人ほどいるようであるが、そのうち「観光」をタイトルに入れた学位論文をまとめた人間は169人に過ぎない。169人いるとしても、すでに高齢の人もいるだろうしまだまだ若くポスドク段階の人もいるであろう。加えて外国人が少なくない。外国人が日本で教鞭を執ることもあるが、日本から離れる確率が高い。

観光に精通した博士でも、タイトルに観光を使わない場合もあるだろうから、それを加味する必要があるが、このような人数しかいないのであれば、首をひねる様な人材が何となく観光のポストに座っている場合も少なくないのではないか。

例えば、「経営学の知識があれば観光など片手間に教えられる」などと言うわけはない。それは観光に特化した経営学ではなく「観光に劣化した経営学」以外の何物でもない。そんな講義をとらなければいけないのであれば、経営学部に行けば良い。なぜなら、経営学部では、観光学部にはじき出されなかった本流の経営学者からの指導が受けられるに違いないからである。

以上今回の課題を述べてきたが、就活に跳びまわっている学生はどう対処すれば良いのか。それはちゃんとした教員の講義をとり、ちゃんとした教員のゼミで学問を深めることですよ。「もう100単位以上とってしまったし、ゼミ配属も決まっている」って?その場合には私も解決策がありません。良い講義を取り、良いゼミに当たっていれば良いですね。そうでない場合には、ご愁傷様。自分で選択した講義であり、ゼミであるのだから。大学とはそういうところです。

 

「観光学」って何をしてるの(7) 観光は学問ではなく経験だと信じる人

本日は、

6. 「観光は学問ではなく経験だ」と信じ、学問の重要性をいぶかしむ業界人が多い点

について考えよう。

就活で、「観光学はいらない」「観光学系大学で身につけた能力は役に立たない」と頑なにに信じている面接官に当たった場合は悲劇である。

観光学の必要性を、その場で納得してもらうのは相当困難であろう。就活の面接は一期一会、短時間ですべてが終わる。その様な面接官に当たった場合には「観光学は大切云々...」と説得を試みるより、切り替えて、素の自分自身を見てもらう様にしよう。上記のような面接官であっても、観光学が自分の会社にマイナスになるとも思っていない場合が多い。アドバンテージがないだけで、他の学部の学生と同じスタートラインには立っている。あなた本人がしっかりした学生であれば勝ち抜く可能性は十分ある。

 

ところで、世界各国に観光学部があるわけであるから、「観光学部が大学教育になじまない」という考えは、どう考えても説得力がない。世界中が勘違いしているとでも言いたいのであろうか。観光学部には十分存在価値がある。しかしながら、「観光学系大学で身につけた能力は役に立たない」という業界側の意見にも、いくつかの理があるのも事実である。

 

一つ目の理由は、急増した大学観光学で教鞭を執る人材が不足しているので、観光系大学のカリキュラム編成や教育水準が十分保証できていない機関がある(かもしれない)点である。この点については次回のコラムで取り上げるので今回は触れないでおこう。

 

二つ目の理由は、「実務は教科書通りやっていれば成功するとは限らない」点である。

スポーツだって同じである。スポーツ科学のセオリーに忠実に従って日々トレーニングを重ねたからといって、確実に優勝できる訳ではない。同じ理論でもっとトレーニングを積んだ人がいて、その人の後塵を拝すこともあろう。体調が悪くて負けることもあろう。フロックで負けてしまうこともある。奇襲作戦にまんまと引っかかってやられてしまうこともあるだろう。同じように、観光学の知見を日々高めたからと言って必ずしも業界で勝ち残れるわけではない。そして、あまり研鑽を積まなかった人がフロックで勝ち残ることもああろう。

テレビなどのマスコミは、セオリーなど知らずにいた人が実業界で成功するケースほうがおもしろおかしく番組ができるので、そんなドキュメンタリーばかりが放映されがちである。マスコミを無批判に信じがちな人が多いが騙されないように気をつけた方が良い。現実の世界でそういうケースがあるからと言って、観光学を修め、セオリーを身につけることがマイナスであろうはずがない。決して、そんな結論は導けない。学問を修めることで、実力が増し、勝ち残る確率は高まるのである。フロックで足下をすくわれる確率も計算できる。奇襲作戦にだって、学問を修めてこそ適切に対応できるのである。

三国志(演義)の諸葛孔明はご存じであろうか。彼がいたからこそ劉備玄徳はあの時代を勝ち抜けたのである。張飛ばかりいっぱいいてもどうしようもない。

 

三つ目の理由は、「イノベーションのジレンマ」と言っておこう。

ハーバード大のクリステンセン教授の名前は聞いたことがあるだろうか。もしかしたら観光系経営学だと学部教育の段階では彼の理論は出てこないかもしれない。クリステンセン教授が唱えた理論の1つが、「イノベーションのジレンマ」である。

この理論は、「観光学を修めた様な優秀な学生」は、大学(院)で習った先例を元に「創造的イノベーション」を重ねて事業を成長させ、自分の会社を優良企業にするのであるが、ある日突然「破壊的イノベーション」に足をさらわれ、企業を傾かせてしまう原因にもなるという現象を説明している。その際、「観光学を修めた様な優秀な学生」は、足をさらわれるまで、ゆめゆめ気がつかないのである。大胆に言ってしまえば、観光学を修めた人がたくさん集まり、共通の学問的ベースを元に企業の効率を高めていくと、失敗することがあるのである。

 

...ちょっとわかりにくい説明だって。仕方がない。具体的な事例を挙げてみよう。ある旅行業者(A社)があったとする。(時代は平成としよう。)

旅行業者A社は、カウンターでの対面販売というビジネススタイルをとる業界有数の企業であった。A社に就職した優秀な職員は、大学で学習した観光経営論やホスピタリティ論などの理論に忠実に、各駅のすぐそばのビル1階にカウンターをたくさん展開し、丁寧なお客様対応を徹底させる企業戦略を採ることにした(→これらが「創造的イノベーション」に該当する)。お客様第一のA社の企業戦略はばっちり当たった。多くのお客さんが気軽に立ち寄ることができ、接客の良さからリピーターの獲得にも成功し、A社の売り上げや利益は年々拡大した。A社は順風満帆の優良企業で、将来は盤石だと誰もが信じていた。

しかしながらである。21世紀に入ってからはインターネットが発達し、WEBで24時間いつでも旅行商品を買える時代が到来した(→これが「破壊的イノベーション」に該当する)。IT時代を見越したかのように、新興WEB旅行会社B社が台頭し、費用のかかるカウンター業務に力を入れずに、WEB取引に特化した経営戦略で業績を伸ばし、業界有数の旅行会社へとのし上がっていった。

このような時代の中でA社はどうなったか、お客さん第一に考えて今まで行ってきた戦略が重荷になっていったのである。カウンター販売に基づいた「創造的イノベーションの成果」は、WEB販売という「破壊的イノベーション」に足下をすくわれた。駅前に数多くあるカウンターは、元々家賃は高いし人件費がかさむ。お客様は、丁寧な接客は大好きだが、いつでもどこでも商品が買えるWEB販売のほうが魅力的である。必然的にカウンターからは足が遠のくことになる。人の来ないA社のカウンターは、家賃を節約するために駅前の1階から遠くの5階に移ることになり、人件費の抑制のためにカウンタースタッフも減らさざるを得なくなった。そうすると元々の企業戦略であったアクセスの容易さや接客の質が落ち、ますます客が遠のいた。結果、A社は倒産してしまった。A社の売り上げや利益は、きれいさっぱりB社に持って行かれてしまったのである。

A社は、お客様の意向をしっかり把握し、その欲求に応え、企業の組織やシステムを繰り返しイノベートしていったのに...

 

上記のようなことが、世の中ではまま起こるのである。レコード針、ポケベル、プリントゴッコなど、昔はどの家庭にも普通にあった商品が消えていった事例は枚挙にいとまがない。これらの製品をつくっていた企業はお客様のニーズを的確に把握し、各商品の性能の向上に大きく力を注ぐべく会社をイノベートしていたはずである。しかしそれらの商品は、現在IPod、スマホ、家庭用複合機(プリンター)に取って代わられ、使われることはなくなった。使われることが予定されている商品やサービスにイノベーションを起こしても虚しい。創造的イノベーションにばかり目をとられていると、破壊的イノベーションの到来に対応できないかもしれないのである。

技術革新が日進月歩の現代にあっては、大学で理論化された創造的イノベーションの知見が陳腐になるのも速い。そんな現実にさらされていると、疑心暗鬼になる。自分のノウハウが陳腐化してしまったサラリーマンが「大学の学問は役に立たない」と愚痴をこぼす気持ちも分かる。

...だからと言って、大学の学問を修めずに経験だけを磨けば良いのではない。逆である。だからこそ、大学で理論を身につけ、センスを磨き、破壊的イノベーションを関知できる視野を広げる必要があるのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「観光学」って何をしてるの(6) 業種・業態が多岐にわたる点

今回は、

5. 「観光学」に関係する業種・業態が多岐にわたり、就職先も多様である点

について語ってみたい。

先週、「観光学部は旅行業への就職予備校ではない」という話をした。実態としては、もちろん多くの学生が旅行業者や運輸業、宿泊業等のいわゆる旅行業界に職を得ていくわけである。しかし、観光立国推進のために大学の学問に期待されていることは、これらの業界に就職することだけを目的に、ピンポイントで実務的(オペレーショナル)な専門スキルを学生に教えることではないのは、皆さんすでに理解いただけたことと思っている。

これからの観光学は、経営学、商学、経済学、地理学、社会学、心理学、土木工学、都市工学、建築学、環境、農学などの各領域に広範囲にわたり分散した学術的知見を学際融合させることが、国から期待されている状況であることを前回述べた。

...ということは、観光学を修めて社会に出て行く人、つまり実業である観光業に携わる人たちには、多岐にわたり分散する観光関係の業種・業態を、地域の発展・振興のために業際融合させていく実務能力が求められているわけである。そして、観光学部卒業生各自が実際に働くフィールドは、様々な企業や組織、あるいは個人活動に及ぶことになる。

 

さて、これでやっと今日の本題に入れるのであるが、「業種」という言葉がある。経営学関係の講義で習ったであろうし、就活生なら馴染みの言葉だろう。

「業種」とは、「営利目的等で経営される企業・組織の事業内容の種類」のことで、大まかに分けると農業、建設業、製造業、サービス業など、もうちょっと細かく分けると畜産業、設備工事業、繊維工業、通信業などに分けることができる。さらに細かく分類することも可能であるが、きりがないのでここではやめておく。

ところで...であるが、「観光業」という業種は、統計上ないのである。 意外だっただろうか。それともとっくに知っていたであろうか。

日本では、総務省の『日本標準産業分類』に従って産業を分類することが多い。そのルールに従うと、観光業は1つの業種にまとまっていないのである。

平成19年11月改定の最新の日本標準産業分類では、我が国の全業種を、とりあえずAからTまで20に大まかに分類している。観光業に深く関わる業界をちょっと考えただけでも、

食材提供(山の幸)は、A 農業,林業

食材提供(海の幸)は、B 漁業、

観光まちづくりや再開発は、D 建設業

特産物の生産は、E 製造業

旅行ガイドの出版は、G 情報通信業

航空会社やバス・鉄道は、 H 運輸業,郵便業

土産物屋は、 I 卸売業・小売業

旅行傷害保険は、J 金融業,保険業

レンタカーは、K 不動産業,物品賃貸業

通訳案内士は、L 学術研究,専門・技術サービス業

ホテル等は、M 宿泊業,飲食店

旅行業者やブライダル産業・テーマパーク等は、N 生活関連サービス業,娯楽業

動物園や博物館・美術館は、O 教育学習支援業

検疫などの業務は、P  医療、福祉

芸術や伝統文化の振興団体は、R サービス業(他に分類されないもの)

国や自治体の観光部門であれば、 S 公務(他に分類されるものを除く)

と、16業種にも渡ってしまうのである。(ちなみに残りの4業種は、C 鉱業.採石業,砂利採取業、F 電気・ガス・熱供給・水道業、Q 複合サービス事業(←協同組合など)、  T 分類不能の産業(←これは事実上分類カテゴリーとは言えない)である。)

1つにまとまるどころか、こんなにバラバラになってしまう。困ったものだ。この様な状況なので、例えば観光経済を真面目に勉強する際には「サテライト・アカウント」などの面倒くさい経済統計の仕組みを学ばなければならない羽目に陥るのである。

 

話を戻すと、語学に力を入れる学生、学芸員を目指す学生、接客技術を磨く学生...様々な学生が観光学部に入学し、様々な就職先を狙っている。どの業種にアタックするかで面接の対応も変わってこよう。面接時に説明しにくいのも仕方がない。

この問題を解決するための就活面接対策は、さすがにこのブログでは書ききれない。ケースバイケースで相談に乗るしかないであろう。

 

「業種」の話ばかりをしていて「業態」の話をするのを忘れていた。

業態は、マーケティングなど商売関係の講義(商学)で習っているだろうか。同じ業種でも、違う客層やターゲットを対象としている場合、別の業態として分類することになる。

小売業では、百貨店・スーパーマーケット・コンビニエンスストアなどの業態に分けられるし、ホテルであればシティホテル、リゾートホテル、ビジネスホテルなどに分けられる。イタリアンレストランなら、リストランテ、トラットリア、タベルナ等に分けられようか。

商売に関わる観光関連産業は、「業種」にとどまらず「業態」も多岐にわたるので、さらに複雑になってしまう。

業界に人材を送り込む大学側の事情にちょっと話を転じてみよう。実学を修め、業界に人材を送り込むスタイルが想定されるのは何も観光学部だけではない。例えば、世界で初めて日本が大学の学部として設置した工学部は、その様な学部の典型で、老舗である。

ただ、工学部ならば、学部の中が専門性に基づき細かい学科に分かれ、さらに学科内の研究室によって専門性がさらに明確になっている。工学部自体の就職先は多岐にわたるが、研究室に配属されればだいたいの就職先は確定する(文系就職でもしなければ)。

一方、観光学部は若い学部なので各ゼミの専門性・明確性が今ひとつである。教員側の専門性も今ひとつ未分化である気がする。そもそも観光学を対象に研究成果をまとめてドクターを取得した教員が、我が国には欠乏状態である。工学の研究室のように研究室ごとに専門性を高めた教育研究を実施する状況が作れないのである。いわば、ポジショニングがはっきりしているプロのサッカーが工学部、柔道部や陸上部どころか、スタンド観戦者までやっとこさ人数をかき集めて、ボールの周りにまとわりついてみんな団子のように動いている小学生のようなサッカーが観光学部なのだろう。

学問を深化させ、その研究室でどのようなスキルが修められるのか明確に提示できるように教員も努力しなければいけない。自戒を込めて。

 

参考:ツーリズム産業の範囲(日本観光振興協会作成:『数字が語る旅行業2012』p15や各種HP等に掲載されています)

(この図を見ると、観光産業に関係する業種がが非常に多岐にわたっていることが理解できる。図が見づらい場合は、画像をクリックしてください。))

図1

 

 

 

「観光学」って何をしているの?(5) 観光学は旅行業だけを対象としているのではない

本日は、

4. 「観光学=旅行業」と勘違いしている人が多い点

について解説したい。

 

このコラムでは、便宜的に、「旅行業」の範囲を「旅行代理店などの旅行業者」、「ホテル・旅館などの宿泊業者」、「キャビンアテンダントやバス・鉄道などの運輸業者」としておく。いずれも、観光関係の主要産業であることは間違いない。就職先としての人気も高い。

 

「観光業=上記の旅行業」のみであると勘違いをしている人は案外多い。しかし、観光学の範囲はそれだけにとどまらない。

実際、本学観光学部に入学してくる学生の中にも、観光学部では上記旅行業に就職するためのノウハウだけを身につける各種トレーニングを行っているものだと勘違いして入学してくる学生が少なからずいる。

大学は職業訓練校や専門学校ではないのですよ。そんなことだけをしている訳がありません。ただ、日本の観光系大学の中には専門学校に近いカリキュラムを売りにしているところもある気がするので、強く断言できないのが残念である。何はともあれ少なくとも本学観光学部ではそういうことはない。もちろん「観光」という産業領域に直結する実学学部なので、本学でもその手のトレーニングに関わる科目もいくつか用意している。しかし、大学に観光学部を設置する学問的意義は他の科目に存在するのである。それらの科目が大学で観光学を教える水準を支えているのである。

 

就活に話を移すと、観光学の前提知識をあまり持っていない就職面接官の中に、上記の勘違いをしている人は少なくない。「自分が大学で学んできた学問の内容が面接官のイメージと違う、うまく伝わらない」のは、確かに就職時のアウエイ要素となろう。そのため、学生は、就活に回る前に、そのギャップを想定して回答を用意しておくことが必要である。

 

では、学問としての「観光学」の範囲は、どこからどこまでなのであろうか。この点については実のところ観光学の研究者の中でも、現時点で明確なコンセンサスが得られているとは言いがたい。そのため、私としても「観光学の範囲は *** である」と胸を張って記述できる状況にない。

 

こういう状況にある場合は、定評のある組織や機関が「観光学」をどのように定義しているかを参照するのが常道である。ここでは、文系理系にかかわらず大学研究者の研究活動の源となっている「科研費(科学研究費補助金)」における記述に着目してみよう。

 

前回のコラムでも書いたとおり、科研費のキーワードとして「観光」という言葉を明確に掲げている常設の学問分野は農学だけである。しかし、「観光学」が農学だけで完結するはずがない。「観光学」は「教養学の実学版」であるので、幅広い学問分野が融合的に関わる必要がある。

その点について、科研費を司る科学技術行政の担当者が気づいていない訳がない。また、同時に、そうはいっても、「観光学」に関連する大半の学問分野で、「観光」というキーワードを常設できるほど学問が成熟していないことにも当然気がついている。でも、日本の将来を考えると「観光学」の深化・発展が欠かせない...

そういう状況を鑑みて、現在の科学研究費補助金制度の中では、臨時に「時限付分野」として「観光学」の項目を掲げている(平成23年度から25年度まで)。

 

「科学研究費助成事業」の「時限付分科細目表」の「観光学」の定義(内容)には、以下のとおりの記述がなされている。観光学の学生であれば、何度も熟読しておくべきであろう。皆さんの卒論も少なからず、上記の定義に貢献するものであってほしい。

 

「観光学の学問的発展は、わが国の観光立国推進の政策を学術の面から支える意味を持つ。

これまで観光に関する学術研究は、エコ・ツーリズム、グリーン・ツーリズム、ヘルス・ツーリズム、産業文化観光などのニューツーリズム、観光の経済効果、観光による地域社会・文化への影響、観光によるまちづくりと地域振興、国際観光政策、旅行者の行動・心理など、多様な観点から学際的に研究されてきた。しかし、これらの研究成果は、経営学、商学、経済学、地理学、社会学、心理学、土木工学、都市工学、建築学、環境などの各領域で広範囲にわたり学際的に研究され、各領域での研究活動としては活発化しているものの、観光学を更に学問的に発展させるためには、これらの分散した研究領域を学際融合させることが求められる。

本分野においては、観光学の独創的な展開に関わる基礎理論から各種の応用的研究、更には、観光に関わる経済社会の発展に寄与する実践的な学問的取り組みを含んだ意欲的な研究の推進を期待する。」

 

上記の定義に、常設の農学系分野を加えれば、我が国の観光学の全体像が見えてくる。「観光学」は、決して旅行業・宿泊業・運輸業のノウハウだけを学ぶ内容ではない。その様な内容はごく一部分で、観光学の対象領域が非常に幅広いことに納得頂けたであろうか。

もちろん、たった一人で上記の学問すべてに精通できる訳がない。そうではあるが、前回のコラムで書いたとおり、観光学部の学生は、自分でも最低1つ以上のディシプリンと、1つ以上の対象領域は修めておいてほしい。不得手なディシプリンや直接扱わなかった対象領域については、身近にいるその道のスペシャリストに頼るほかない。

「最低1つ以上のディシプリンと、1つ以上の対象領域は修めた人々が集まり、組織をつくる。そしてその組織力を活かした高度な観光学に基づいて、これからの日本の観光産業を推進していく。」という形をつくることが、我が国では求められている。それが実現したときに、我々は胸を張って「日本が観光立国に成功した」のだと言えるのであろう。

ちなみに上記のような組織のことを、「トランザクティブ・メモリー」が有効に働いている組織という。経営学の基本用語ですね。経営学の基本なのであるが、我が国の観光関係の行政・企業・団体・大学では、このトランザクティブ・メモリーがうまく働いていないのである。これから観光学部を卒業する皆さんには、観光学を広く見渡せるトランザクティブ・メモリーを持った組織づくりへの期待が寄せられるわけである。

 

今回の本論はここまでである。

ただ、今回のコラムでもちょっとおまけを付記しておく。

 

【おまけ】

なぜ、日本では観光学と言えば、旅行業・宿泊業・運輸業に限られるとイメージされる様になってしまったのだろうか。

 

いくつか理由は挙げられる。

 

1つ目は普通の人には「旅行」と「観光」との区別がついていない点にあろう。トラベルとツーリズムは深い関係にあるが意味が異なる。このことは、旅行・観光系で世界的にも権威のある業界団体がWorld Travel & Tourism Council(WTTC)と名乗っているからも分かるであろう。TravelとTourismは基本的に概念が異なり、併置される間柄なのである。両者の区別がつかないのであれば、旅行業=観光学と捕らえられても仕方ないであろう。

 

2つ目は、「観光」の仕事より、「旅行」の仕事のほうが身近である点にあろう。就活生であれば、会社には、直接消費者(お客様)と接する「BtoC」企業と、会社間・組織間の取引が主体で直接消費者(お客様)と接することはほとんどない「BtoB」企業が存在することは学習済みであろう。また、1つの会社の中でも部門によって、「BtoC」の職種と「BtoB」の職種が混在している。

旅行代理店のカウンター業務やホテルのコンシェルジュ、航空機のキャビンアテンダントの職務は、まさに「BtoC」の職種なので、普通の人にとってもイメージしやすくなじみ深い職業といえる。しかし、日本の観光を支える仕事には、まちづくりのスペシャリストや文化財の保存技術者、自然地域を管理するレンジャーなど多様な職種が存在する。これらの職種は「BtoC」の要素が少ないため、一般旅行者の目に触れることが少ない。「観光学」では、これらの分野の職種も視野に入れた学問を修めるように、当然カリキュラムが設計されている。しかし、その分野まで一般の人の想像が及ばないのであれば、残りの旅行業=観光業とされてしまうことも間々あるだろう。

 

最後に、我が国の民間旅行産業の発展史に着目したい。我が国の旅行関連の民間企業の歴史を振り返ると、彼らが一時期旅行業に特化(皮肉を込めて言えば「矮小化」)したビジネスモデルに走ったものの、結局現在は観光業全般を扱うように戻ろうと努力している過程がよく分かる。

ここでは具体的事例として、株式会社JTBの歴史をざくっと振り返ってみよう。JTB(グループ)は昨年(2012年)創業100周年を迎えた。ここで覚えておいてほしいのは100年前のJTBは旅行業者ではなく、総合的な観光組織であったことである。

JTBは、1912 年(明治45 年)に創業された。その名を「ジャパン・ツーリスト・ビューロー」と称していた。当初は「観光業」を幅広く視野に入れた国策組織として誕生したのである。

戦後、JTBは「ジャパン・トラベル・ビューロー」となった(厳密には戦中に「旅行社」に改称:ただ戦中は英語禁制であった)。観光(ツーリズム)を広く手がける組織から、旅行(トラベル)中心の組織に変わっていったのである。

そして、公的活動にはなじまないこともあり、JTBは、1963(昭和38) 年に営利部門である「旅行部門」を独立させて「株式会社日本交通公社」を誕生せた。現在、皆さんに馴染みのあるJTBは、この株式会社JTBである。株式会社JTBは名実ともに旅行業者(トラベル・ビューロー)になったのである。そして全国津々浦々の市町村にカウンターや看板を持つBtoCの株式会社JTBは、観光=旅行という一般イメージの定着に大きく貢献した。株式会社JTBが発足してから50年。日本人のあらゆる世代にこのイメージは広く浸透していると言って過言ではない。

観光学部の中にも知らない学生もいるかもしれないがJTBは株式会社だけではない。株式会社のJTBを分離させた親元である「財団法人JTB」は今も健在である。「財団法人JTB」は、調査・研究・コンサルティングをはじめとする公益事業を通じて観光文化の振興を担う主体として、今も観光学の中で主要な役割を担っている。就活面では、株式会社ほど採用数は多くなく、また学部卒程度の技能ではなく院卒を採用することが多い組織であるため、大学3年生で就活を行う学生には、財団法人JTBは馴染みが薄いのであるが。

閑話休題、JTBの観光的・学術的側面は、株式会社ではなく、この「財団法人JTB」に引き継がれたため、一般人にとって、観光産業の基盤となる観光学の存在が見えにくくなり、旅行業的要素がひときわ目立つようになった。

しかし、50年の間に情勢は大きく変わった。50年前の昭和の時代と違い、現在観光産業の発展のために必要だと認識されていること、言い換えれば観光産業や観光学に求められていることは、カウンターでチケットを売る効率や接客技術を高めることではない。旅行業のイメージを形作ってきたオペレーショナルな部分ではないのである。むしろ、財団法人JTBが引き継ぎ陰に隠れがちであった「幅広いディシプリンや対象領域に根ざした学術的エビデンスに基づいた観光地づくりや、観光組織の経営体系の高度化」にあろう。

そのことを、当然株式会社JTBのほうも当然自覚している。なぜならば、50年前は営利事業として十分やっていけたカウンター発の旅行販売業だけでは、利益が上がらないのは疑いもない事実だからである。50年前と同じビジネスモデルでは会社が倒産してしまう。

そのため2006(平成19)年にJTBはこれまでの「総合旅行業」という事業ドメイン(←基本用語:説明できますね)を返上し、「交流文化事業」に転換した。

交流文化事業とは「地域資源の魅力を発掘し、磨きをかけ、観光者を集客する」ための一連の事業のことと言えよう。なんと言うことはない。本来の意味での「観光業」に戻ろうとしているわけである。

そのために、株式会社JTBは、地域子会社を分社化することで地域に根ざした意思決定を速やかに行うための組織変革を行ったり、JTB総合研究所を組織改編で立ち上げて企業戦略を練り直したりと、様々な経営改革を行っているところである。

もっとも、現状ではまだまだ採算がとれなさそうな珍奇ツアーの提案を耳にしたり、出資した予算に見合わない地域振興の提案を受けてがっかりしたという自治体関係者の愚痴を聞かされたりということがままある状態である。ただ、巨人JTBがこのままで終わるわけはない。このような状況は一過的で、きっと近い将来日本の観光産業を支える業態に転換していることであろう。

その様な時代が来たときに、観光業=旅行業という一般イメージは変わっていることと信じている。

「観光学」って何をしているの?(4) メタ「領域学」である「観光学」

今回は、
3. 「観光学」は「領域学」で、1つのディシプリン(学問の基盤となる原理)で説明できない点。
さらにいえば、戦前我が国の観光学を牽引してきた造園学や森林学にしても、戦後観光分野で台頭してきた経営学にしても、それらの学問自体が、そもそも1つのディシプリンで説明できない学際分野で、それらを基盤に発展した観光学は「メタ」学際分野に位置づけられる点。
について考えてみたい。

いきなりだが、このホームページの「メンバー」欄に載せているとおり、私の学位論文のタイトルは『地域森林計画区における観光レクリエーション機能の評価に関する研究』である。学位の種別は「博士(農学)」であり、当然名刺にもその様に印刷している。
名刺交換をするときに、相手から「へえ、農学で学位を取って観光をやっているのですか。珍しいですね。」と言われることが少なくない。そういうときには、仕方がないので適当に話を合わせておくことが多い。
暴露話のようになるが、私からすると、この手の会話で、相手が本当に観光学に取り組んできたのか否かが判別できるため、とても重宝している。長く真剣に観光学に関わってきた人であれば、その過程で何人かの農学系研究者と関わっているはずである。駆け出しの研究者ならまだ出会ってない可能性もあろうが、そこそこ年齢を重ねた人間が上記のような感想を述べてしまうということは、その人が観光学のアマチュアであることを自ら表明しているのと何ら変わりがない。
しかし、観光系の学会や研究会の懇親会に出てみると、この手の会話になることが少なくないのである。よくよく話を聞いてみると、旅行業・運輸業・宿泊業などのうち1つの民間企業だけに勤めて引退し、そこでの仕事の経験談を学生におもしろおかしく伝えることが大学教員の職務だと信じ、学術研究活動をほとんど行わない様な人である場合が多い。学術研究をしないのであるから、農学系の観光研究者と出会う機会があるはずない。

意外に思われるかもしれないが、日本で、戦前の観光研究を牽引していたのは、本田静六博士らをはじめとする農学系研究者といっても過言ではない。本田静六博士は研究面でも著しい業績を残した。彼の偉大なところは、研究だけにとどまらず、都会の真ん中には日比谷公園を設計し、農村部の湯布院には観光振興計画を導入し、自然地域については国立公園制度の制定に貢献するなど、大車輪のように日本各地の観光の実践に貢献し、現在の我が国の観光業の基盤づくりに貢献した点にある。そしてその伝統が今の農学にも引き継がれている訳である。
実際、現時点で、文科省科研費の細目のキーワードを見ると、「観光」という言葉を明確に掲げている常設の学問分野は農学だけである。(より厳密に言えば「総合系・複合領域」として常設されている「地理学」のなかに「ツーリズム」というキーワードがある。ただ、この分野には農学が大きくコミットしている。)他の学問分野でも、もっと観光に対する学術研究的体系への関わりを顕在的に表明してほしいものである。

さて、農学の話を長々と続けてきたが、就活で跳びまわっている学生にとっては、遠い話に聞こえるかもしれない。なぜなら文系観光学の皆さんは農学的素養がほとんどないと自覚していて、農学に関する話を聞いても就活には活かせないと思っているからである。私の本音を言えば、今まで教えてきた各科目の中に農学的な知識や技術をちりばめてあるので、学生が造園学や森林学等農学系の素養を積んでいないはずはないのであるが...なぜ学生は農学を遠く感じるのであろうか。

ここでやっと今日の本題である「領域学」や「ディシプリン」の話につながってくる。何はともあれ、まずは、大学の学部学科というものは、1つの固有な学問的方法論(ディシプリン)を突き詰める学部学科と、ある1つの対象領域を設定していくつもの学問的方法論(ディシプリン)を組み合わせる「領域学」と呼ばれる学部学科の2つに分かれることを確認しておきたい。後者は学際(インターディシプリン)的分野と呼ばれることも多い。
具体的に言えば、前者には、社会学や心理学、経済学などの文系学科や、生物学や物理学・化学・地学などの理系学科が該当する。後者には、企業などの組織を対象領域とする経営学や観光という現象を対象領域とする観光学などの文系学科や、森林を対象領域とする森林学やランドスケープに関わる現象を対象領域とする造園学等の理系学科が該当する。
前者と後者はどういう関係にあるかをもう少し詳しく説明してみよう。「経営学」という学問を志した場合、「企業などの組織」について明らかにするために経済的分析(経済学)を行ったり、社会調査法(社会学)を行ったり、アンケートによる嗜好調査(心理学)を行ったりすることになる。つまり、TPOによってディシプリンを選び、使い分ける訳である。
「森林学」の場合にも植生調査(生物学)や地質・地形調査(地学)と自然地域における人間の行動特性調査(心理学)を組み合わせて山村振興(経済学)の課題に取り組むといった複数のディシプリンを活用した研究プロジェクトが推進されたりする。
つまり、領域学を学ぶ学生は、その領域の事情通になるだけでは不十分で、その領域に深く関わるディシプリンを数多く理解し、身につけることが求められる。先に挙げたような、「仕事の経験談を学生におもしろおかしく聞かせる講義」ばかりを履修してしまうと、ディシプリンが身につかず、就活の時に自分が何を学んできたか説明できなくなる。ディシプリンをスルーした領域学では、大学にまで行って学んだ価値は見いだせない。

さて、上記の説明の中で、観光学も領域学の1つだと言った。ただ、観光学部の場合は、経営学や造園学ともやや異なる側面がある。それは何か? 観光学の場合は、さらにもう一段階複雑なのである。なぜならば、観光学は直接ディシプリンとつながった学問と言うよりは、「経営学」や「造園学」などの「領域学」をもう1つ間にかませることが多いからである。
繰り返すが、観光学は一段階複雑なのである。言い換えれば、観光学は、「『経済学』をベースとしたリゾートホテルの『経営学』的分析」と「『生態学』をベースとした地域の『造園学』的評価」など、2段階学問を積み上げることで初めて、その上に学問としての観光学という1つの形が完成するのである。
自動車を思い浮かべてほしい。自動車は「『金属』でできているエンジン」や「『ガラス』でできている窓」、「『繊維』などでできている座席」などを組み合わせることでやっと1つの製品となる。自動車は観光学、エンジンや窓・座席は経営学や造園学、金属やガラス・繊維は経済学や生物学などのディシプリンに該当する。

ここまで説明すればある程度分かってくれただろうか。自分が観光学で何を身につけたかを説明する際には、
「① 経済学のディシプリンに基づき、②宿泊業者の経営分析を行い、③都市観光の発展性についての卒論をまとめている」であるとか、
「① 生態学の論文をレビューすることで、②国立公園の造園的管理の動向を分析し、③エコツーリズムによる地域振興の可能性を検討している」など、
3段階の説明ができることがスマートなのである。
「①『ディシプリン』に基づき、②『領域学1』の分析を行い、③『観光学』に貢献する」というふうに言えること、そこが肝要なのである。ディシプリンをそのまま扱う学問や、ディシプリンに直接つながる領域学と比べると、一手間ないし二手間多く説明が必要なのが観光学である。
そのため就活で観光学について説明する時に戸惑ってしまうのである。面接に行く前に、必ず上記3段階の説明内容を整理しておいてほしい。

以上で本日の解説はほぼ終わったのであるが、1つ補足的に解説を付け加えておきたい。「なぜ観光学部の学生は農学的素養がないと思い込んでしまうのか?」についてである。
私は農学的な学問の素養を学生に講義しているつもりである。ただ、先に述べたとおり、農学は領域学である。私が教える農学的な学問は、生物学的なディシプリンから、経済的なディシプリン、社会学的なディシプリン、心理学的なディシプリンにまで幅広く言及する。
ところで一方、観光学自体が領域学である。経済的なディシプリン、社会学的なディシプリン、心理学的なディシプリンについては、他の講義でも頻繁に出てくるディシプリンである。
(生物+経済+社会+心理)-(経済+社会+心理)=生物学
学生は生物学といった自然科学に、学問的引け目を感じているのであろう。ただ、農学は経済学・社会学・心理学などの素養があれば十分組みせる学問である。
本田静六博士が、ドイツでもらった学位は経済学博士である。私も農学の博士であるが、計量心理学や社会調査に基づく論文が少なくない。別に農を研究するかからといって、農学の生物学的側面そのものを矢面に立てる必要はない。繰り返すが、経済学・社会学・心理学のディシプリンは、農学的な観光分野でも頻繁に活用されている。
自然を知っているに越したことはない。ただ謙虚さを失わずに、分からないことは自然科学者に聞くという態度を身につけていれば、実務でも研究でも農の扱いは何とかなるものである。

「観光学」って何をしているの?(3)教養学の実学版である「観光学」

本日は、「観光学とは何か?」を簡単に説明できない2つめの理由、つまり、

2. 「観光学」は学際的で、文系理系の垣根を越えた全方位の教養が求められる点。言わば「教養学の実学版」であるという点

について解説していきたい。

 

「観光」という言葉の語源が、『易経』の「国の光を観る、もって王に賓たるに利し」という一節から来ていることは、観光学の学生であれば、耳にタコができるほど聞いていることであろう。観光とは、その国の、その地域の、その地区の「誇るべき光」を観察する行為であるといえる。

もっとも、現代の観光産業は易経の「観光」という意味合いよりは、英語の「ツーリズム」に近いニュアンスで動いているような感じが、私にはする。これも観光学の学生であれば聞いたことがあると思うが、ツーリズムの語源はラテン語の「ろくろ」である。「くるっと回って帰ってくる」、という感じであろうか。

WTO(世界観光機関)の定義では「娯楽やビジネス、その他の目的のために人々が、まる一年を超えない範囲内で継続的に通常の生活環境環以外の場所に旅行し、滞在する活動」とされている。要するに、休みであろうが、仕事であろうが、家の用事であろうが、どこかに出かけて一年以内にくるっと自宅に帰ってくる活動がすべて含まれる。出かけたときに、特に「誇るべき光」を見ることは要求されていないのがツーリズムである。

 

観光がツーリズムだけであれば、必ずしも教養は必要ないかもしれない。安全な旅程を計画し、安全な乗り物に乗り、安全な宿舎に泊まれれば、最低限の要素はクリアできる。これらはいずれもオペレーショナルなスキルで事足りる。人に言われたことを忠実にこなすという態度と能力さえあれば良い。何も大学で学ぶ必要はないスキルである。就活を考えた場合、これではアドバンテージにならない。

 

では、どうすれば良いのか?いくつかの解決策があるだろう。一つ目は、「安全な旅程・乗り物・宿舎」の内容を高める能力を身につけることである。つまりは経営学的側面である。

ご存じのとおり、戦後発展した経営学は「企業」を研究する学問である。旅程を司る旅行業者、乗り物を司る運輸業者、宿舎を司る宿泊業者の企業経営、つまりは企業の組織のあり方や戦略の取り方をどうすれば良いのかを、エビデンスを踏まえながら判断できるようにする能力を高める学問といえよう。実際、文系の観光学在学者の場合には(世の中には理系の観光学もあります)、その様なテーマに高い興味を示している学生が多いと私は感じている。大いにそのスキルを高めてほしい。日本が観光立国に本当になるためには、ハイレベルの経営センスを持った人材が、これらの産業にどんどん進出していってほしいと思っている。

言いにくい話だが、日本の場合、これまでは高い経営センスを持った学生は、このような業界をあまり目指していなかった。商社や銀行、家電や自動車産業など、経営学を学んだ学生がチャレンジする魅力的な企業が日本にはあまた存在していたからだ。しかし、日本では観光経営の魅力が今後増してくることは間違いない。観光関連の業界を十分研究して一流の判断力を身につけてほしい。

 

ただ、経営のセンスを高めるというのは、観光学部でなくとも、実は経済学部でも、社会学部でも、文学部でも可能である。もちろん経営学部がある大学ならば、なおさらOKである。元々、経営学は経済学、社会学、心理学などの学問原理を用いて経営を分析するのが一般的である。そのため、上記4学部であれば、観光学部と同じような経営センスを磨くことは難しくない。

 

経営学的側面は非常に有力であるが、他学部と完全には差別化できないのか...では、観光学部の学生はどうすれば良いのか?

ここで、最初に書いた「国の光を観る」という言葉を思い出してもらいたい。観光学部では、観光の目的地(デスティネーション)の「誇るべき光」の見方について、網羅的なセンスが磨けるようにカリキュラムが構成されていることを思い出してほしい(少なくとも本学では)。幅広い教養を身につけ、それを観光という実践に応用する実学を身につけるためのカリキュラムである。

地域の自然・文化という大掴みな枠組みから、観光資源や観光施設の意味、パークやイベントの観光における意義など、ある地域の中にあるあらゆる観光要素に関するセンスが磨けるようになっている。このカリキュラム構成は、他学部では真似できないオリジナリティの高い「売り」であるといえる。

「国の光を観るスキル」は大切である。不況とはいえ経済力の強い我が国では、そこそこの収入のある人であれば、好きなところに旅行に行けるし、一流ホテルにも泊まれる。ただ、同じところに出かけ、同じ場所に泊まったからといって、すべての人が同じ感動や同じ体験が享受できると思ったら大間違いである。理由は簡単なことで、一人一人の能力・教養が異なっているからである。

昼間に観光地をまわるときに「何もない風景」としか受け止められないのか、様々な歴史や自然を背景に感じて心に刻みながら風景を眺められるのか、つまり教養のあるなしで観光者が享受する体験の質は大きく変わってしまうのである。宿に泊まったときにも、建物の建築、屋内に活けられた花、季節の郷土料理などへの感受性の差で体験の質が雲泥の差となって顕れる訳である。

観光者ですらそうであるのなら、いわんや観光業者をや...である。「『国の光を観る』ことを提供するスキル」は一朝一夕に身につかない教養をベースとした実学である。大学で学ぶに十分足る学問であるといえる。
私の体験からも、深い教養のない、旅行業者、運輸業者、宿泊業者にあたり、旅行の過程で虚しさを感じることがままある。観光業者は、財務諸表が読めても、GOPを改善する能力があっても不十分である。深い教養を感じさせる観光地や施設の経営が行えない限り、やがて見放される。そして観光地は衰退していく。

(自分自身も、まだまだ修行が足りないのは承知しているが)学生たちには、深い教養に対する精進を忘れないでほしいと感じている。

 

...で、就活面接の時にどう簡潔に説明すれば良いのかって...それは自然論でも観光資源でも、パーク論でもイベント論でもいいから、観光学的色彩の強い講義の中で、自分が最も印象に残ったことを話せば良いのですよ。そうすれば観光学部の学生として他学部とは違う学問を積んでいることが伝わるはずなのである。

 

もっとも、学生自身が教養の重要性を自覚し、興味を持っていなければ、どうにもこうにもならない。面接で、表面的なコメントをしても伝わらないし、却って底の浅さを露呈することになりかねない。

 

「自分の感受性ぐらい自分で磨け、若者よ!」である。

 

―――――――――

自分の感受性くらい 茨木のり子

 

ぱさぱさに乾いてゆく心を

ひとのせいにはするな

みずから水やりを怠っておいて

 

気難しくなってきたのを

友人のせいにはするな

しなやかさを失ったのはどちらなのか

 

苛立つのを

近親のせいにはするな

なにもかも下手だったのはわたくし

 

初心消えかかるのを

暮らしのせいにはするな

そもそもが ひよわな志しにすぎなかった

 

駄目なことの一切を

時代のせいにはするな

わずかに光る尊厳の放棄

 

自分の感受性くらい

自分で守れ

ばかものよ

「観光学」って何をしているの?(2) 前提知識のない人に観光学を説明する

前回、「観光学とは何か?」を簡単に説明できない理由として、思いつくままに以下の8つの理由を挙げてみた。

1. 「観光学部」は近年急増したので、多くの採用担当者が、学部に対する前提知識を持ち合わせていない点
2. 「観光学」は学際的で、文系理系の垣根を越えた全方位の教養が求められる点。言わば「教養学の実学版」であるという点
3. 「観光学」は「領域学」で、1つのディシプリン(学問の基盤となる原理)で説明できない点。
さらにいえば、戦前我が国の観光学を牽引してきた造園学や森林学にしても、戦後観光分野で台頭してきた経営学にしても、それらの学問自体が、そもそも1つのディシプリンで説明できない学際分野で、それらを基盤に発展した観光学は「メタ」学際分野に位置づけられる点。
4. 「観光学=旅行業」と勘違いしている人が多い点
5. 「観光学」に関係する業種・業態が多岐にわたり、就職先も多様である点
6. 「観光は学問ではなく経験だ」と信じ、学問の重要性をいぶかしむ業界人が多い点
7. 新設学部・学科の多い日本の観光系大学の中には、元々観光学を専門にしていない教員が配属されることも少なくなく、結果学生が何を学んでいるのか理解できなくなる点
8. そもそも日本の「観光学」の水準が、国際的には高いとはいえない点
という理由である。

本来であれば、もう少し時間をかけたブレーンストーミングを行って、考え得る理由をできる限りピックアップする必要があるだろう。そしてその結果ピックアップされた理由相互の因果関係や類似性をみて、把握しやすいように数項目にまとめる作業が必要であろう。

人間が感覚的に把握しやすいのはせいぜい3~4項目までである。細かく挙げれば理由はいくつも出てくるが、それを数項目にまとめなければ実践的なリアクションは起こしにくい。余談になるが、そういう意味では、ポーターのファイブフォーシーズは多すぎる(サービス・マネジメント系の講義で聞いたことがありますよね)。実は、このポーターの理論は、5つと言いながらも「脅威×2」「交渉力×2」「競争力」の3つとも言い換えられることがミソである。記憶的には、3つの単語がキーになるため、比較的頭に残しやすいのである。(3つの内的要因と、2つの外的要因に分けて覚えることもできる。)
せっかくなので多数ある項目を数個のグループにまとめる方法に何があるかを、ついでに思い出しておいてほしい。あまり数学が得意でない人でも手っ取り早く取り組める方法には、KJ法があることを思い出せただろうか。また、本学観光学部のコースワークで必修では教えないが、統計学の多変量解析のうちの「主成分分析」や「因子分析」などは、多数の理由や原因を数個にまとめる際に役に立つ分析手法である。

閑話休題、話を戻そう。今回は論理的なプロセスを踏むことの話題ではなく、就活でどう答えられるかが主眼であった。

まずは「1.『観光学部』は近年急増したので、多くの採用担当者が、学部に対する前提知識を持ち合わせていない点」について考えてみよう。

「『人に新たな知識や概念を伝える』というのは、まさに教育そのものである。『3年間自分が教育を受けてきた観光学の内容を採用担当者に伝える』というのは、まさに『自分が受けてきた教育の定着度を試されている』と言って過言ではない。採用担当者が観光学の前提知識を持ち合わせていないからと言って、うまく伝えられないのは、まだ学生の学習が十分でない証拠である」
...と無責任に書いてしまえば身も蓋もないのであろうが、真相はそこにある。(ただ、上の説明では「教員の教え方が悪いから学生が理解できないのだ」などの、学生としては不可抗力といえる可能性から目を背けている。)
いずれにせよ、学生は、相手が知らないことであっても簡潔に上手く伝達する技術を、学生時代に身につける必要がある。相手方が知識を持ち合わせていないケースは、社会に出ればいくらでもある。手短にうまく説明ができなければ、決済に時間はかかるし、企画書は通らないというダメ社員になってしまう。そういう人材はあまり企業も採用したくないであろう。

ただ、このような原則論だけを言っても仕方がないことは、分かっているつもりである。
今回考えねばならないのは、他学部の学生が、「はい。工学部建築学科です。高層ビルの免震構造の計算を研究していました。」とか、「はい。経済学部で金融政策について学んできました。」などと答えれば、すんなりスルーされる質問なのに、「はい。観光学部です。」と答えたとたんに「観光学って何?」と、引っかかってしまうという問題であろう。
採用担当者が、学部に対する前提知識を持ち合わせていないのであるから、この引っかかりは避けて通れない。避けて通れないのであれば、うまく回避する手立てを、学生各自が事前に準備しておく必要がある。

うまく回避するには、伝える立場にある学生自身の課題と、伝えられる採用担当者のへの対応の2つに分けて、戦略を考えると良い。

はじめに、学生自身の課題である。うまく説明ができないのは「3年間自分が教育を受けてきた観光学の内容」を手短に話す準備を面接前に整えていないからである。
時間がない中、どう準備すれば良いか。私は「本学観光学部観光学科パンフレット」の活用を強く薦めている。「学科パンフレット」を、本来入学前に一読し、2年、3年と学年が進む折に読み返してほしいのである。そして、就活の面接前にも再度読み返してほしいのである。
本学科に4つある科目群の中から、自分はどのように履修科目を選び、何を避け、スキップしたのかを振り返ることで、観光学の全体像を把握し、自分の知識/技能の偏りを知ることができる。その作業をしなければ、観光学の全体像の学習を終えていない学生が、他人に観光学をうまく説明できるわけがない。何はともあれ「学科パンフレット」を振り返ってみてほしい。
なぜこれほど「学科パンフレット」にこだわるかというと、観光学には定評のある総論的教科書がないからである。また今後、定評のある教科書が発刊されるのか否かについても分からない。私は当面そうならないのではないかと思っている。観光学にとって身近な学問分野である「経営学」にも定評のある教科書は未だにない。考現学的な文系主体の学際分野には、物理学や数学のような決定版の教科書は生まれにくいのである。
そういう意味で、「学科パンフレット」は重要な位置づけにある。薄い冊子の中に教育内容のエッセンスがまとめられている。人に伝える(=教育)という作業に、これを活用しない手はない。

続いて、前提知識を持ち合わせていない採用担当者への対応について考えたい。
採用担当者は「観光学」の何に疑問を持つのか考えてみよう。

まずは「観光学部です」という言葉を、採用担当者がとっさに理解できないということはないだろう。例えば「グローバルホスピタリティ(^^)ウェルネス学部です!」と言われれば、言葉自体が即座に飲み込めないであろうが、本学はそのようなキラキラネームはつけていない。「観光」という言葉そのものが引っかかりになってはいない。

そうであれば、採用担当者は「観光学部」という言葉の何に疑問を持つのであろうか。
まずは、「観光学」の学問の対象であろう。観光学が学問として対象とする範囲が何か?を採用担当者はとっさに把握できないと思う。
これには「観光学は、観光に関係する『人』『場所』『組織』を総合的に研究する学問である。」とでも答えておこう。
『人』には、「観光業界で働く人」と「観光客」が含まれる。本学科では、前者は主にサービス・マネジメント科目群(人的資源管理)と観光文化科目群(ホスピタリティ論)で教えている。後者はレジャー・レクリエーション科目群(レジャー論)が主に対応している。
『場所』は「観光地」や「交通拠点(空港や駅ターミナルなど)」などを指す。本学科では、レジャー・レクリエーション科目群(観光資源・施設デザイン・公園論・観光地の自然的側面など)や観光文化科目群(観光地の文化的側面など)、地域デザイン科目群(地域計画論・景観論など)が対応している。
『組織』とは「企業」「行政」「NPO」などのことである。本学科では、サービス・マネジメント科目群(経営学的側面)や地域デザイン科目群(地域社会学など)が主に対応している。

また、採用担当者は観光学部を出た人間が役に立つのか?という疑問も持つに違いない。体育学部なら根性があり集団活動にてきぱき対応できるだろうし、工学部であれば特定の専門技術が身についていることが容易に想像できる。では、観光学部はどうなのか。どのような専門性があり、社会人として他学部と比較して何に優位になるのかという点である。
専門性については、観光業独自の売りは「オペレーティブ」な水準にとどまる内容がどうしても多くなってしまう。「旅行業務取扱管理者」に関する知識や資格は、学部生前半、遅くとも3年の秋までには身につけておいてほしい。「観光学士」としては、このオペレーティブな知識の上に、「学士」としての学問を積み上げていく必要がある。本学部で卒論を必修にしている理由はここにあろう。卒論の過程で行う先行研究のサーベイや統計解析、ロジカルシンキングやパラグラフライティングなどのスキルは、社会人になってからこそ活かされる。十分なデータがない中、的確な判断を下していくためには卒論の作成を通じた学士力の向上が不可欠なのである。

最後に、採用担当者には観光学自体がそもそも学問として成立するのか?という疑問もあるに違いない。
それについては、欧米やオセアニア諸国、アジア各国に観光学部・学科があることから考えても「成立する」と答えて問題ない。ただ、日本においては、20世紀の間、製造業関連の第2次産業(自動車や家電等)が強かったため、観光産業に力を入れてこなかったことから大学における観光教育が盛んでなかったということに過ぎない。
胸を張って、観光学は学問たり得ると答えてほしい。

以上、8つのうち、第1の点について幾ばくかの解説をしてみた。とりあえずアップしておく。今後は第2の点についてのブログを書き進めるとともに、このブログについても添削を重ねていきたいと思う。

「観光学」って何をしているの?(1) 観光学が理解されにくいわけ

今は春休み。大学院に進学希望ではない3年生は、連日就職活動の説明会や面接で跳びまわっている。

何十社にもエントリーシートを出したところで、最終的には1つの会社にしか就職できないでのであるから、大いなる無駄な活動であることは間違いない。人生は80年。その80年のうちでも、20代前半という心身ともに充実した時間をこのような活動に充てさせるのは何とも忍びない。
同じ時間を使って旅に出た方が、人生としては充実する。戦後生まれの昭和の大学生は、そのような旅を経験して自律力を高めていった。かくいう私もその1人である。学生時代に、バックパック1つでシベリア鉄道に乗り、ヨーロッパ各地を転々とした経験は、現在でも自分の人生の方向を判断する際に大いに役立っている。

企業にとっても、就活は手間のかかる作業であろう。それ自体利益の上がる活動ではないし、セレクションにかけた効果は不鮮明。採用担当者だってそんなに立派な人ばかりではないだろうから、採るべき学生を落とし、そうでない学生に内定を出すことも少なくないであろう。
このような活動に、無駄に時間をかけることを厭わないのであるから、日本の企業の経営効率が、他国と比べてさほど高くないことも頷ける。就活に時間をかけても、報われることは少ない。効率的・合理的かつ楽にセレクションは行う方法を見いだしたほうが良い。

さて、前置きが長くなってしまった。
上記のタイトルでブログを書こうと思ったきっかけは、そのような就活のまっただ中に放り込まれている学生たちから「観光学って何をしているの?」と面接で聞かれた場合、どう答えれば良いのか困ったと何度も耳にしたことにある。
確かに観光学をショートコメントで説明することは難しい。その理由はには、いくつかある。

思いつくままに挙げるだけでも、
1. 「観光学部」は近年急増したので、多くの採用担当者が、学部に対する前提知識を持ち合わせていない点
2. 「観光学」は学際的で、文系理系の垣根を越えた全方位の教養が求められる点。言わば「教養学の実学版」であるという点
3. 「観光学」は「領域学」で、1つのディシプリン(学問の基盤となる原理)で説明できない点。
さらにいえば、戦前我が国の観光学を牽引してきた造園学や森林学にしても、戦後観光分野で台頭してきた経営学にしても、それらの学問自体が、そもそも1つのディシプリンで説明できない学際分野で、それらを基盤に発展した観光学は「メタ」学際分野に位置づけられる点。
4. 「観光学=旅行業」と勘違いしている人が多い点
5. 「観光学」に関係する業種・業態が多岐にわたり、就職先も多様である点
6. 「観光は学問ではなく経験だ」と信じ、学問の重要性をいぶかしむ業界人が多い点
7. 新設学部・学科の多い日本の観光系大学の中には、元々観光学を専門にしていない教員が配属されることも少なくなく、結果学生が何を学んでいるのか理解できなくなる点
8. そもそも日本の「観光学」の水準が、国際的には高いとはいえない点
などがあげられる。

まあ、就活面接で自分の学部の説明に窮するというのは、何も観光学部の学生に限ったことではないだろう。
20年ほど前から、大学の学部学科名の基準が緩和されてから、1回聞いただけでは何をやっているのか正体不明な学部名が急増した。カタカナばかりの「キラキラネーム」学部も珍しくはない。学部ではないが、専攻コース名に顔文字(^^)が入っている大学まで登場している。ここまで来ると私の常識では説明しきれない。
そういう意味では、「観光学」を名乗る学科は50年近く前から存在していたし、「観光」という言葉そのものは人口に膾炙しているので、ましなほうであろう。
色々ご託を並べたが、「観光学」の説明に窮している学生がいることは、紛れもない事実である。

次回以降で、このテーマについて少しずつ解説していきたいと思う。