東海大学観光学部観光学科 田中伸彦ゼミ

2012年4月 田中ゼミがスタートしました。 2013年3月にホームページをアップしました。

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「観光学」って何をしているの?(4) メタ「領域学」である「観光学」

「観光学」って何をしているの?(4) メタ「領域学」である「観光学」

今回は、
3. 「観光学」は「領域学」で、1つのディシプリン(学問の基盤となる原理)で説明できない点。
さらにいえば、戦前我が国の観光学を牽引してきた造園学や森林学にしても、戦後観光分野で台頭してきた経営学にしても、それらの学問自体が、そもそも1つのディシプリンで説明できない学際分野で、それらを基盤に発展した観光学は「メタ」学際分野に位置づけられる点。
について考えてみたい。

いきなりだが、このホームページの「メンバー」欄に載せているとおり、私の学位論文のタイトルは『地域森林計画区における観光レクリエーション機能の評価に関する研究』である。学位の種別は「博士(農学)」であり、当然名刺にもその様に印刷している。
名刺交換をするときに、相手から「へえ、農学で学位を取って観光をやっているのですか。珍しいですね。」と言われることが少なくない。そういうときには、仕方がないので適当に話を合わせておくことが多い。
暴露話のようになるが、私からすると、この手の会話で、相手が本当に観光学に取り組んできたのか否かが判別できるため、とても重宝している。長く真剣に観光学に関わってきた人であれば、その過程で何人かの農学系研究者と関わっているはずである。駆け出しの研究者ならまだ出会ってない可能性もあろうが、そこそこ年齢を重ねた人間が上記のような感想を述べてしまうということは、その人が観光学のアマチュアであることを自ら表明しているのと何ら変わりがない。
しかし、観光系の学会や研究会の懇親会に出てみると、この手の会話になることが少なくないのである。よくよく話を聞いてみると、旅行業・運輸業・宿泊業などのうち1つの民間企業だけに勤めて引退し、そこでの仕事の経験談を学生におもしろおかしく伝えることが大学教員の職務だと信じ、学術研究活動をほとんど行わない様な人である場合が多い。学術研究をしないのであるから、農学系の観光研究者と出会う機会があるはずない。

意外に思われるかもしれないが、日本で、戦前の観光研究を牽引していたのは、本田静六博士らをはじめとする農学系研究者といっても過言ではない。本田静六博士は研究面でも著しい業績を残した。彼の偉大なところは、研究だけにとどまらず、都会の真ん中には日比谷公園を設計し、農村部の湯布院には観光振興計画を導入し、自然地域については国立公園制度の制定に貢献するなど、大車輪のように日本各地の観光の実践に貢献し、現在の我が国の観光業の基盤づくりに貢献した点にある。そしてその伝統が今の農学にも引き継がれている訳である。
実際、現時点で、文科省科研費の細目のキーワードを見ると、「観光」という言葉を明確に掲げている常設の学問分野は農学だけである。(より厳密に言えば「総合系・複合領域」として常設されている「地理学」のなかに「ツーリズム」というキーワードがある。ただ、この分野には農学が大きくコミットしている。)他の学問分野でも、もっと観光に対する学術研究的体系への関わりを顕在的に表明してほしいものである。

さて、農学の話を長々と続けてきたが、就活で跳びまわっている学生にとっては、遠い話に聞こえるかもしれない。なぜなら文系観光学の皆さんは農学的素養がほとんどないと自覚していて、農学に関する話を聞いても就活には活かせないと思っているからである。私の本音を言えば、今まで教えてきた各科目の中に農学的な知識や技術をちりばめてあるので、学生が造園学や森林学等農学系の素養を積んでいないはずはないのであるが...なぜ学生は農学を遠く感じるのであろうか。

ここでやっと今日の本題である「領域学」や「ディシプリン」の話につながってくる。何はともあれ、まずは、大学の学部学科というものは、1つの固有な学問的方法論(ディシプリン)を突き詰める学部学科と、ある1つの対象領域を設定していくつもの学問的方法論(ディシプリン)を組み合わせる「領域学」と呼ばれる学部学科の2つに分かれることを確認しておきたい。後者は学際(インターディシプリン)的分野と呼ばれることも多い。
具体的に言えば、前者には、社会学や心理学、経済学などの文系学科や、生物学や物理学・化学・地学などの理系学科が該当する。後者には、企業などの組織を対象領域とする経営学や観光という現象を対象領域とする観光学などの文系学科や、森林を対象領域とする森林学やランドスケープに関わる現象を対象領域とする造園学等の理系学科が該当する。
前者と後者はどういう関係にあるかをもう少し詳しく説明してみよう。「経営学」という学問を志した場合、「企業などの組織」について明らかにするために経済的分析(経済学)を行ったり、社会調査法(社会学)を行ったり、アンケートによる嗜好調査(心理学)を行ったりすることになる。つまり、TPOによってディシプリンを選び、使い分ける訳である。
「森林学」の場合にも植生調査(生物学)や地質・地形調査(地学)と自然地域における人間の行動特性調査(心理学)を組み合わせて山村振興(経済学)の課題に取り組むといった複数のディシプリンを活用した研究プロジェクトが推進されたりする。
つまり、領域学を学ぶ学生は、その領域の事情通になるだけでは不十分で、その領域に深く関わるディシプリンを数多く理解し、身につけることが求められる。先に挙げたような、「仕事の経験談を学生におもしろおかしく聞かせる講義」ばかりを履修してしまうと、ディシプリンが身につかず、就活の時に自分が何を学んできたか説明できなくなる。ディシプリンをスルーした領域学では、大学にまで行って学んだ価値は見いだせない。

さて、上記の説明の中で、観光学も領域学の1つだと言った。ただ、観光学部の場合は、経営学や造園学ともやや異なる側面がある。それは何か? 観光学の場合は、さらにもう一段階複雑なのである。なぜならば、観光学は直接ディシプリンとつながった学問と言うよりは、「経営学」や「造園学」などの「領域学」をもう1つ間にかませることが多いからである。
繰り返すが、観光学は一段階複雑なのである。言い換えれば、観光学は、「『経済学』をベースとしたリゾートホテルの『経営学』的分析」と「『生態学』をベースとした地域の『造園学』的評価」など、2段階学問を積み上げることで初めて、その上に学問としての観光学という1つの形が完成するのである。
自動車を思い浮かべてほしい。自動車は「『金属』でできているエンジン」や「『ガラス』でできている窓」、「『繊維』などでできている座席」などを組み合わせることでやっと1つの製品となる。自動車は観光学、エンジンや窓・座席は経営学や造園学、金属やガラス・繊維は経済学や生物学などのディシプリンに該当する。

ここまで説明すればある程度分かってくれただろうか。自分が観光学で何を身につけたかを説明する際には、
「① 経済学のディシプリンに基づき、②宿泊業者の経営分析を行い、③都市観光の発展性についての卒論をまとめている」であるとか、
「① 生態学の論文をレビューすることで、②国立公園の造園的管理の動向を分析し、③エコツーリズムによる地域振興の可能性を検討している」など、
3段階の説明ができることがスマートなのである。
「①『ディシプリン』に基づき、②『領域学1』の分析を行い、③『観光学』に貢献する」というふうに言えること、そこが肝要なのである。ディシプリンをそのまま扱う学問や、ディシプリンに直接つながる領域学と比べると、一手間ないし二手間多く説明が必要なのが観光学である。
そのため就活で観光学について説明する時に戸惑ってしまうのである。面接に行く前に、必ず上記3段階の説明内容を整理しておいてほしい。

以上で本日の解説はほぼ終わったのであるが、1つ補足的に解説を付け加えておきたい。「なぜ観光学部の学生は農学的素養がないと思い込んでしまうのか?」についてである。
私は農学的な学問の素養を学生に講義しているつもりである。ただ、先に述べたとおり、農学は領域学である。私が教える農学的な学問は、生物学的なディシプリンから、経済的なディシプリン、社会学的なディシプリン、心理学的なディシプリンにまで幅広く言及する。
ところで一方、観光学自体が領域学である。経済的なディシプリン、社会学的なディシプリン、心理学的なディシプリンについては、他の講義でも頻繁に出てくるディシプリンである。
(生物+経済+社会+心理)-(経済+社会+心理)=生物学
学生は生物学といった自然科学に、学問的引け目を感じているのであろう。ただ、農学は経済学・社会学・心理学などの素養があれば十分組みせる学問である。
本田静六博士が、ドイツでもらった学位は経済学博士である。私も農学の博士であるが、計量心理学や社会調査に基づく論文が少なくない。別に農を研究するかからといって、農学の生物学的側面そのものを矢面に立てる必要はない。繰り返すが、経済学・社会学・心理学のディシプリンは、農学的な観光分野でも頻繁に活用されている。
自然を知っているに越したことはない。ただ謙虚さを失わずに、分からないことは自然科学者に聞くという態度を身につけていれば、実務でも研究でも農の扱いは何とかなるものである。

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