東海大学観光学部観光学科 田中伸彦ゼミ

2012年4月 田中ゼミがスタートしました。 2013年3月にホームページをアップしました。

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「観光学」って何をしているの?(3)教養学の実学版である「観光学」

「観光学」って何をしているの?(3)教養学の実学版である「観光学」

本日は、「観光学とは何か?」を簡単に説明できない2つめの理由、つまり、

2. 「観光学」は学際的で、文系理系の垣根を越えた全方位の教養が求められる点。言わば「教養学の実学版」であるという点

について解説していきたい。

 

「観光」という言葉の語源が、『易経』の「国の光を観る、もって王に賓たるに利し」という一節から来ていることは、観光学の学生であれば、耳にタコができるほど聞いていることであろう。観光とは、その国の、その地域の、その地区の「誇るべき光」を観察する行為であるといえる。

もっとも、現代の観光産業は易経の「観光」という意味合いよりは、英語の「ツーリズム」に近いニュアンスで動いているような感じが、私にはする。これも観光学の学生であれば聞いたことがあると思うが、ツーリズムの語源はラテン語の「ろくろ」である。「くるっと回って帰ってくる」、という感じであろうか。

WTO(世界観光機関)の定義では「娯楽やビジネス、その他の目的のために人々が、まる一年を超えない範囲内で継続的に通常の生活環境環以外の場所に旅行し、滞在する活動」とされている。要するに、休みであろうが、仕事であろうが、家の用事であろうが、どこかに出かけて一年以内にくるっと自宅に帰ってくる活動がすべて含まれる。出かけたときに、特に「誇るべき光」を見ることは要求されていないのがツーリズムである。

 

観光がツーリズムだけであれば、必ずしも教養は必要ないかもしれない。安全な旅程を計画し、安全な乗り物に乗り、安全な宿舎に泊まれれば、最低限の要素はクリアできる。これらはいずれもオペレーショナルなスキルで事足りる。人に言われたことを忠実にこなすという態度と能力さえあれば良い。何も大学で学ぶ必要はないスキルである。就活を考えた場合、これではアドバンテージにならない。

 

では、どうすれば良いのか?いくつかの解決策があるだろう。一つ目は、「安全な旅程・乗り物・宿舎」の内容を高める能力を身につけることである。つまりは経営学的側面である。

ご存じのとおり、戦後発展した経営学は「企業」を研究する学問である。旅程を司る旅行業者、乗り物を司る運輸業者、宿舎を司る宿泊業者の企業経営、つまりは企業の組織のあり方や戦略の取り方をどうすれば良いのかを、エビデンスを踏まえながら判断できるようにする能力を高める学問といえよう。実際、文系の観光学在学者の場合には(世の中には理系の観光学もあります)、その様なテーマに高い興味を示している学生が多いと私は感じている。大いにそのスキルを高めてほしい。日本が観光立国に本当になるためには、ハイレベルの経営センスを持った人材が、これらの産業にどんどん進出していってほしいと思っている。

言いにくい話だが、日本の場合、これまでは高い経営センスを持った学生は、このような業界をあまり目指していなかった。商社や銀行、家電や自動車産業など、経営学を学んだ学生がチャレンジする魅力的な企業が日本にはあまた存在していたからだ。しかし、日本では観光経営の魅力が今後増してくることは間違いない。観光関連の業界を十分研究して一流の判断力を身につけてほしい。

 

ただ、経営のセンスを高めるというのは、観光学部でなくとも、実は経済学部でも、社会学部でも、文学部でも可能である。もちろん経営学部がある大学ならば、なおさらOKである。元々、経営学は経済学、社会学、心理学などの学問原理を用いて経営を分析するのが一般的である。そのため、上記4学部であれば、観光学部と同じような経営センスを磨くことは難しくない。

 

経営学的側面は非常に有力であるが、他学部と完全には差別化できないのか...では、観光学部の学生はどうすれば良いのか?

ここで、最初に書いた「国の光を観る」という言葉を思い出してもらいたい。観光学部では、観光の目的地(デスティネーション)の「誇るべき光」の見方について、網羅的なセンスが磨けるようにカリキュラムが構成されていることを思い出してほしい(少なくとも本学では)。幅広い教養を身につけ、それを観光という実践に応用する実学を身につけるためのカリキュラムである。

地域の自然・文化という大掴みな枠組みから、観光資源や観光施設の意味、パークやイベントの観光における意義など、ある地域の中にあるあらゆる観光要素に関するセンスが磨けるようになっている。このカリキュラム構成は、他学部では真似できないオリジナリティの高い「売り」であるといえる。

「国の光を観るスキル」は大切である。不況とはいえ経済力の強い我が国では、そこそこの収入のある人であれば、好きなところに旅行に行けるし、一流ホテルにも泊まれる。ただ、同じところに出かけ、同じ場所に泊まったからといって、すべての人が同じ感動や同じ体験が享受できると思ったら大間違いである。理由は簡単なことで、一人一人の能力・教養が異なっているからである。

昼間に観光地をまわるときに「何もない風景」としか受け止められないのか、様々な歴史や自然を背景に感じて心に刻みながら風景を眺められるのか、つまり教養のあるなしで観光者が享受する体験の質は大きく変わってしまうのである。宿に泊まったときにも、建物の建築、屋内に活けられた花、季節の郷土料理などへの感受性の差で体験の質が雲泥の差となって顕れる訳である。

観光者ですらそうであるのなら、いわんや観光業者をや...である。「『国の光を観る』ことを提供するスキル」は一朝一夕に身につかない教養をベースとした実学である。大学で学ぶに十分足る学問であるといえる。
私の体験からも、深い教養のない、旅行業者、運輸業者、宿泊業者にあたり、旅行の過程で虚しさを感じることがままある。観光業者は、財務諸表が読めても、GOPを改善する能力があっても不十分である。深い教養を感じさせる観光地や施設の経営が行えない限り、やがて見放される。そして観光地は衰退していく。

(自分自身も、まだまだ修行が足りないのは承知しているが)学生たちには、深い教養に対する精進を忘れないでほしいと感じている。

 

...で、就活面接の時にどう簡潔に説明すれば良いのかって...それは自然論でも観光資源でも、パーク論でもイベント論でもいいから、観光学的色彩の強い講義の中で、自分が最も印象に残ったことを話せば良いのですよ。そうすれば観光学部の学生として他学部とは違う学問を積んでいることが伝わるはずなのである。

 

もっとも、学生自身が教養の重要性を自覚し、興味を持っていなければ、どうにもこうにもならない。面接で、表面的なコメントをしても伝わらないし、却って底の浅さを露呈することになりかねない。

 

「自分の感受性ぐらい自分で磨け、若者よ!」である。

 

―――――――――

自分の感受性くらい 茨木のり子

 

ぱさぱさに乾いてゆく心を

ひとのせいにはするな

みずから水やりを怠っておいて

 

気難しくなってきたのを

友人のせいにはするな

しなやかさを失ったのはどちらなのか

 

苛立つのを

近親のせいにはするな

なにもかも下手だったのはわたくし

 

初心消えかかるのを

暮らしのせいにはするな

そもそもが ひよわな志しにすぎなかった

 

駄目なことの一切を

時代のせいにはするな

わずかに光る尊厳の放棄

 

自分の感受性くらい

自分で守れ

ばかものよ

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