東海大学観光学部観光学科 田中伸彦ゼミ

2012年4月 田中ゼミがスタートしました。 2013年3月にホームページをアップしました。

本拠地 

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TEL.

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シリーズ:「観光学」を学ぶ人のための「ネイチャー論」

「観光学」を学ぶ人のための「ネイチャー論」(その6) 日本の海域の自然

「日本は海洋大国である。」この事実を日本人は自覚しているようで自覚していない。

ネイチャー論をとったからには、是非この事実を自覚してほしい。

日本の国土は約38万平方キロメートル、さして大きな国ではない。世界には現在約百九十数カ国あるが、単純に国土の陸域面積だと日本は62位にすぎない。それが、領海と排他的経済水域を合わせた面積では第6位に位置づけられる(約448万平方キロメートル)。日本より大きな海を持つ国は、アメリカ・フランス・オーストラリア・ロシア・カナダの次に来る。陸域と海域を合わせた面積でも第9位(日本より上位に左記に加えてインド・ブラジル・中国が来る約486万平方キロメートル)に位置付く。日本は10指に入る面積を誇る大国なのである。

こんな海洋国に住む日本の観光学を学ぶ学生が、日本の海の自然性について十分理解しなければ宝の持ち腐れとなってしまう。もちろん今でも、日本海のカニや太平洋のカツオなどの海の幸が観光に用いられていることは知っているであろう。また小笠原や高知県のホエールウォッチング、沖縄などのダイビングやシーカヤックが有名なこと、冬の知床の流氷が観光デスティネーションになっていることも知っているだろう。夏には各地の海水浴場が賑わうことももちろん知っているであろう。このような、観光地理情報・観光資源情報は確実に覚えておいて欲しい。しかもできる限り低学年のうちに覚えてしまい、とっとと国内の旅行業務取扱管理者の資格は取得しておいてほしい。

しかし、皆さんは大学で学ぶ学生である。上記のような旅行地理の暗記だけであれば専門学校の教育で十分教えてくれることと思う。大学の学生は、日本の海の成り立ちの概要を科学的に理解するとともに、地域の海の自然性を客観的にとらえる力を身につけてほしい。

そうすれば、鎌倉市のように、由緒ある海岸の名前をネーミングライツと称して売りに出すような恥ずかしい暴挙はなくなるであろう。

さて、日本の海は広く、深いまた暖流・寒流に恵まれ、北から南までの間に流氷から珊瑚礁まで抱えている。日本は流氷の南限、珊瑚礁の北限に当たる。つまり、日本の海域には世界の海がコンパクトに詰まっているのである。ハワイのような海も、アラスカのような海もさほど緯度が広くない地域に詰まっているのである。そしてその中に3万4千種の生物がひしめいている。この種数は世界で最も豊富であるという事実が、近年の調査で明らかにされている。

そしてそれは、浅瀬から深海まで水深が豊富でしかも寒流・暖流がぶつかる太平洋という大海と、実は生態系の歴史としては新しくキュウリエソという小魚1種に支えられている日本海という2つの異なるを抱えていることも1つの要因である。太平洋の生態系、日本海の生態系を各々理解して、持続可能な形で資源を活用し、美しい海、ダイナミックな海、美味しい海を満喫できるプログラムをつくるのかが、観光関係者の腕の見せ所であろう。

【参考】

領海:国家の領域の一部で、海岸に沿って一定の幅をもつ帯状の海域。現在は原則として12海里(約22キロ)とされている。「―侵犯」(大辞泉)

排他的経済水域:沿岸国が海洋および海底下の生物・鉱物資源の探査・開発・保存・管理などに関して主権的権利をもつ水域。1982年の国連海洋法条約で、その幅は沿岸から200海里(約370キロメートル)を超えてはならないとされている。経済水域。EEZ(exclusive economic zone)。 (大辞泉)

公海:国際法上、特定国家の主権に属さず、各国が自由に使用できる海域。 (大辞泉)

「観光学」を学ぶ人のための「ネイチャー論」(その5) 日本の陸域の自然

日本は先進工業国というイメージが強いかもしれないが、経済が発展している国の中で、これほど多様な自然植生に覆われた国はなかなかない。

実際、国土のほとんどは自然である。日本の陸域のほぼ3分の2が森林、十数%が農地に覆われている。これだけでも実に国土の8割が自然植生に覆われている。温帯でこれほど植生が豊富な地域はまれである。特に森林率の高さは目を見張る水準にある。フィンランドや熱帯地域などに森林が豊富な国は見受けられるが、温帯でこれほど森林率が高い国は日本と韓国ぐらいのものである。日本と同じ緯度にある他の温帯地域には、軒並み沙漠が広がっている。嘘だと思うなら世界地図を広げてみると良い。北海道から沖縄に相当する緯度にはゴビ砂漠、タクラマカン砂漠、リビア砂漠など、名だたる砂漠が並ぶ。アメリカ合衆国も内陸部の多くが乾燥地であるし、地中海に面したイタリアやスペインなども決して湿潤地域ではない。地球の大気の大循環の中では日本や韓国に当たる緯度は本来乾燥しているのが普通なのである。

しかしながら、日本の西には壮大なヒマラヤ山脈が聳えている。そのため、大気の循環がイレギュラーになる。特に偏西風が蛇行を起こすことで、偶然にも日本や韓国はたくさんの降水量に恵まれているのである。飛行機から見下ろすと茶色ではなく緑に覆われている国、それが日本なのである。

加えて日本は豊富な種類で多様な生態系に恵まれていることも特徴である。私自身、大学で森林学を学び、その後20年も森林総合研究所に勤務していたが、とても林内の動植物・鳥・昆虫などを覚えることはできなかった。学者泣かせなほど、あまりにも生物が多様なのである。それに比べればヨーロッパの植生は単純で羨ましい。日本中の生き物を覚えて自然ガイドをしようとすることは無謀な行為である。あくまでも「トコロジスト」として地域な主要な生き物と寄り添うことを選ぶべきである。

加えて日本には固有種が多い、大陸とくっついたり離れたりを繰り返すことで、多くの生物種が供給されると同時に独自の進化を遂げて新たな種へと分化していったわけである。日本は世界の中でも生物多様性のホットスポットとなっているわけである。

 

豊かな動植物がいるのであるから、世界中からその魅力に惹かれて外国人が多く訪れる。カラーバリエーションが豊富な秋の紅葉、雪の中に生息するニホンザル(スノーモンキー)などは、海外の人の間でも日本の観光の魅力として結構有名である。また、私はアマミノクロウサギの調査で奄美大島の人気の少ない林道などに出かけた際に、バードウォッチングのために来訪したイギリス人やドイツ人に遭遇したことが何回かある。日本の自然は外国人からすると、日本人の想像を超えるくらいに奥の深いデスティネーションなのである。

この様な日本の自然を、観光学の学生はどの様に理解し、どの様に活用すれば良いのであろうか。観光学の学生に、生態学者のような能力を求めるのは無茶であろう。我々は我々なりの方法で、日本に自然の観光学的あり方を模索していかなければならない。この問に対する一律の解答はない。ケースバイケースで考えていくことが必要である。

ただ、解答はないが原則はある。ネイチャーレクリエーション論で強調している三原則である。つまり、

1.「(自然は)保全しなければならない」

2.「(自然は)訪れるに値する」

3.「(自然は)恐ろしい」

という3点である。

ディズニーのSCSEの原則のように、自然地域の観光においては1~3の順番で優先順位をつけて、適切に管理することが大切である。

その要として観光学を修めた人間が役に立てる時代が来れば良いと思っている。

具体的なノウハウは未だ確立していない。

 

 

 

「観光学」を学ぶ人のための「ネイチャー論」(その4) 自然の多面的機能を押さえよう

「コンクリートから人へ」というのは政権交代時の民主党のキャッチフレーズであった。

今は自民党政権に戻り、このキャッチフレーズをテレビなどで耳にする機会も少なくなったが、21世紀の日本にとっては今でも大切な考え方であることは変わりない。

かつて日本はリゾート法(総合保養地域整備法)で、あたかも日本中の山や海を全てコンクリートで塗り固めた観光地にしようという勢いで、開発が進みかけた時代があった。観光利益、開発利益のために日本の自然を犠牲にすることに自責の念を感じなかったという前科が日本にはある。その過ちを繰り返してはいけない。

さすがに現在日本の観光業界が、コンクリートで自然を破壊するような行為を進めることは少なくなったが(離島などでは未だに見られないこともない)、大手の旅行業者などで自然に対する理解が進んだわけでもないと私は感じている。例えば世界遺産に登録された自然地域に旅行業者は次から次へと人を送ってくる。「お客様のニーズ」「地域活性化のため」など心地よい言葉を並べるが、要するに自社の利益の前では自然の環境収容力など考えていない職員が多いのである。今年の夏の富士山はどうなることやら、興味本位で山を壊すことに無神経な人が多く登るようになり、良心的な人はかえって登山を控えるような悪循環に陥らなければ良いのであるが…

さて、本学観光学部では、この様に地域の自然の持続可能性や海や山のワイズユースができないような人材を輩出したくない。そのためには是非自然の持つ多面的機能を知っておいてほしい。

下記のURLの図のとおり、海には海、山には山、農地には農地それぞれの多面的機能がある。中には海の「国境監視機能」のように数年前までは「なんだこれ?」と一笑に付されていた機能も近年の国際情勢の中で認識が変わったようである。各機能についていざというときのためにしっかり理解しておく必要性が共有されたことは重要である。各機能についてこのページで逐一説明はしないが、是非概念も含めて覚えておいてほしいと考えている。

http://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/businessindex/shinko/agri/noson_kankyo/hpdata/1-1.htm

またその様な機能を保全するための制度も整えられている。例えば森林については明治時代から保安林という制度があり、水源涵養や土砂災害防止、雪害防備、風致の維持などの目的で下記のURLのとおり17種類の保安林が設けられている。これらの保安林の種類についても実際に観光まちづくりなどの推進で関わる機会が多いので、どの様な目的でどの様な保安林があるのかを覚えておいて頂きたい。

http://www.rinya.maff.go.jp/j/tisan/tisan/con_2.html

 

さらに、「機能」と「サービス」との違いについても理解しておいてほしい。

まずサービスについて説明しておく。世界的観点から見ると、21世紀に入ってからは生態系サービスつまり自然が我々に施してくれる各種のサービスに関する理解や研究が進んでいる。通常、生態系サービスは供給サービス(Provisioning services)、調整サービス(Regulating Services)、文化的サービス(Cultural Services)、基盤サービス(Supporting Services)にカテゴライズされている。ちなみに、観光レクリエーションとしての自然からのサービスは文化的サービスに相当するサービスである。

ところで機能とサービスの違いであるが、人間は自然がもたらす機能の一部をサービスとして享受しているという関係を覚えておいてほしい。例えば山菜採りを頭に浮かべてほしい。人間は山に生える山菜を根こそぎ採り尽くすわけではない。自然はたくさんの山菜を供給してくれる「機能」を持っているが、人間が「サービス」として活用するのはそのほんの一部分なのである。観光レクリエーションにしても全ての自然を活用し尽くすのではなく、その一部を活用して人間は満足できるわけである。その間合いを観光関係者に会得してほしいのである。

 

「観光学」を学ぶ人のための「ネイチャー論」(その3) 国土利用計画を覚えておこう

日本の国土は管理されている。

ということは、日本の自然も管理されているということになる。どの様に管理されているのか?

前々から、観光学というのは「(企業をマネジメント=経営する)経営学」と「(場所をマネジメント=管理する)地域管理学」の二つのマネジメントの学問(領域学)に支えられた「メタ領域学」であると教えてきた。

ただし後者の地域管理学は都会から原生自然まで幅が広いので、サブカテゴライズされている。それが国土利用計画の視点である。

 

取りあえず覚えておいてほしい要点は下記の対応関係である

都市地域 - 都市計画法 - 日本都市計画学会

農業地域 - 農振法 - 農村計画学会

森林地域 - 森林法 - 日本森林学会

自然公園地域 - 自然公園法 - 日本造園学会

自然保全地域 - 自然環境保全法 - 日本造園学会

観光学で地域のマネジメントを学習するには、国土利用計画法で定められた上記5地域の概要を覚え、それに対応する5つの法律を修め、5つの地域に主として関わる4つの学会に目を光らせておく必要があるわけである。でも、実際にこの様なもの全てに目を光らせた上で、経営学も修めている人がこの日本に何人いるのだろうか。心許ない。

そのため、観光学を今学んでいる学生への期待は一層強くなる。

上記5つの法律に是非目を通すように。

「観光学」を学ぶ人のための「ネイチャー論」(その2) 観光学部出身者の「立ち位置」・言葉の定義

本学観光学部は私立文系に位置づけられる。本来、大学に「文系」「理系」という変な垣根を作って、「文系は自然科学の知識に疎くて良い」と涼しい顔ができる日本の学業のシステム自体がとても妙で嫌なのであるが、それが現実。現実を受け止めた上で講義を組み立てなければならない。

実際本学部で開講している自然系の講義は限られている。あなた方のうち、例えば自然公園や都市公園などの「公園管理者」になりたいとか、「ネイチャーガイド」になりたい、「リゾートホテル」や「地方自治体」などで自然地域の観光やまちづくり、地域おこしの職に就きたいなどと考えている人は、学部開講講義だけでは十分とは言えない。なるべく早く、オフィスアワーなどの時間に相談に来てほしい。自然に関わる職業につくには、そのために必要な専門的「職能」と、その専門的職能を活かすために「観光学側として身につけておくと良い知識や資格」がある。個別に内容が違ってくるので可能な限りアドバイスしたいと思う。

また、大学で提供する講義内容はベーシックなものに留まるので、発展分野や実践分野としては、是非外部の各種制度も活用してほしい。今回は比較的信頼の置ける2機関の取り組みをHPのURLとともに紹介する。

 

一つ目は、信州大学の取り組みである。

信州大学農学部の付属施設AFC(アルプス圏フィールド科学教育研究センター)は、山岳地域の観光レクリエーション、エコ/グリーンツーリズム、自然保護などに関わる各種実習プログラム(夏休みや春休みに開講)を、外部の大学生にも公開している。HPのアドレスは
http://www.shinshu-u.ac.jp/faculty/agriculture/institutes/afc/

である。観光はそもそも文理融合。農学や工学系にも観光の研究部門があって、彼らは自然に対する本格的な学習を続けています。様々な学部の日本中の大学生が集まるこのプログラムに出席すると、専門性が深まるとともに、自分の観光学部学生としての立ち位置が深まること請け合いである。

二つ目は、損保ジャパンのCSOラーニング制度である。この制度は大学生・大学院生に、環境分野のCSO(市民社会組織、NPO・NGOを包含する概念)でインターンシップを経験してもらう制度である。インターンを通して、環境問題や市民社会のあり方などについて考え、より視野の広い社会人になっていただくことを目指している。この制度に参加するインターン生には、1時間あたり800円が奨学金として支給されることも魅力的である。自分のスキルアップをしながら生活費も手に入る。残念ながら本学では単位認定はしていないが、それと引き替えに奨学金が手に入ることは魅力であろう。詳細は下記URLを参照のこと。今年度の東京地区の説明会は4月30日にあるそうである。

http://www.sjef.org/internship/

 

何はともあれ、観光従事者は自然を取り巻く人の「かすがい」になってほしい。

自然地域には、「地域の主」みたいな人がいっぱいいる。素晴らしい人材が数多くいる。しかしよく表現すれば個性的、悪く表現すれば「山オタク」「昆虫マニア」「アウトドアスポーツ馬鹿」「自然保護妄信者」「無頓着な開発業者」のような偏った人間がうようよしている。しかも、人口の少ない自然地域でこれらの人々が縦割りに活動している。観光とは、「地域の光を観る」ことをサポートする産業である。観光学部の学生には是非これらの人材のかすがいとなるような役回りを演じてほしい。観光立国が目指している「すんでよし、訪れてよし」の持続可能な地域づくりを行うには、これら個性的な人材を活用しながら特定の話題に固執せずにいられる「一歩引いた自然の見方」を身につけることが何にもまして大切である。

そのためには、何はともあれまずは、「言葉の定義」を確認しておこう。大学の学問では定義された言葉をベースに議論することがルールである。本日は、「自然」とは何か、一般的な言葉の定義を確認しておきたい。

「自然(しぜん)」という言葉は、近代に入ってから使われるようになった言葉である。英語のNatureに対応する言葉として使われるようになった言葉である。そのため、本講義では「自然」ではなく元々の「ネイチャー」という言葉を採用した。なお、近代以前にも「自然(じねん)」という言葉はあった。野生の山芋「自然薯(ジネンジョ)」などでおなじみの言葉である。

 

さて、自然という言葉の定義であるが、著名な辞書『広辞苑』には下記のとおり書いてある。これらの意味合いを、今後の講義展開の前提として是非覚えておいてほしい。

①(ジネンとも)おのずからそうなっているさま。天然のままで人為の加わらないさま。あるがままのさま。(「ひとりで(に)」の意で副詞的にも用いる)枕草子(267)「-に宮仕え所にも、(以下略)」。「ーそうなる」

②ァ〔哲〕(physisギリシャ・naturaラテン・natureイギリス・フランス)人工・人為になったものとしての文化に対し、人力によって変更・形成・規整されることなく、おのずからなる生成・展開によって成りいでた状態。超自然や恩寵に対して言う場合もある。

②ィ おのずからなる生成・展開を惹起させる本具の力としての、ものの性(たち)。本性本質。太平記(2)「物相感ずること皆 ー なれば」

ゥ 山川・草木・海など、人類がそこで生れ、生活してきた場。特に、人が自分たちの生活の便宜からの改造の手を加えていない物。また、人類の力を越えた力を示す森羅万象。「 ー 破壊」「 ー の猛威」「 ー の摂理に従って生きる」

②ェ 精神に対し、外的経験の対象の総体。すなわち、物質界とその諸現象。

ォ 歴史に対し、普遍性・反復性・法則性・必然性の立場から見た世界。

カ 自由・当為に対し、因果的必然の世界。

③人の力では予測できないこと

ァ 万一。平家物語(7)「 ー の事候はば。」

ィ (副詞として)もし。ひょっとして。伽、一寸法師「 ー 舟なくては如何あるべきとて」

 

また、本講義では養老孟司さんの自然に関する定義を紹介しておきたい。

養老孟司は自然について、「自然的発想」と「都市的発想」とを対置して考えている。そして、都市と自然を、場所や物ではなく、「考え方」で定義している点がユニークであると言える。

端的に言ってしまえば、

•「ああすれば、こうなる」の考えですますことができるのが都市的発想。

•「ああすれば、こうなる」ではどうにもならないものが自然的発想。

•その両者をつなぐのが「手入れ」という考え方。
と表現できる。この内容について理解するためには、是非、養老孟司(2002)『手入れ文化と日本』白日社. 282ページを参照されたい。大学の講義は90分の講義に加え、それと同じだけの自宅学習が必要になる。ここで紹介する図書や論文は、自宅学習のための参考書である。これらの参考書を読まずに、何年後科の就活を目の前にしてから相談されても、ありきたりのアドバイスしかできないので、ご容赦願いたい。

 

「観光学」を学ぶ人のための「ネイチャー論」(その1) 観光学部生は自然論にどう身につけるべきか

観光学部の学生は自然の何を学をどこまでべば良いか? 答えるのは難しい。

大学で取得すべき単位は124単位。本学の観光学部生の大半は、自然に関係する科目は10単位も履修しないのではないだろうか。そのようなアウエイ的状況で、学生に、自然に対するを知識を覚え、自然を扱う制度を習得し、自然を愉しむセンスを磨いてもらうことは容易なことではない。

学生は、何やかんやいっても時間があるはずだから、学生時代のうちに色々なところに出かけて、たくさんの自然体験をしてほしい。デスティネーションは、何も自然地域でなくても良い、社寺巡りをしようと、スポーツに親しもうと周囲に自然環境はついて回る。立派な自然体験になるのである。秋葉原に通い詰めたって自然からは逃れられない。真夏の茹だるような暑さ、集中豪雨など、普段自然を感じさせないように創られている都市ほど、自然を感じさせる事態が起きたときは極端になりがちである。田舎に行けば田舎の自然、都市に行けば都市の自然を体験できる。学生のうちにできるだけ外に出よう。

ただし、闇雲に外に出ればいいというものではない。それではちっとも賢くならない。君たちの多くは地域の観光をマネジメントする立場に立つ可能性がある。大学生のうちに座学を通じて必要な知識を身につけなければならないのである。しかもしっかり要点を押さえた上で、効率的に学ばなければならない。

そのためには、観光学部生としての自然との向き合い方を理解しておく必要があろう。君たちは生態学者になる訳でも、冒険家になる訳でもないだろう。彼らの自然との向き合い方と観光関係者の自然への向き合い方とは異なる。本講義では、観光学部生として自然に向き合い、自然論を身につけてもらうことを目的で開講する。

もしあなたたちが自然と関係の深い職、例えばエコツアーガイドや国立公園のレンジャーなどになりたい場合には、この講義の内容だけではどうしても知識や技能が不足する。生態学者や森林学者、海洋学者や造園学者などと同じ自然に対する知識と向き合い方が要求される。その様な意向を持っている学生は、別途私の部屋を訪ねてほしい、そのためのスキルをどの様に磨けば良いか相談に乗ることはやぶさかでない。

では、観光学部の学生が自然に向き合うためのポイントは何か? 本日の時点では、1つの「取り戻してほしいこと」と、3つの「覚えておくべき大切なこと」を紹介しておきたい。

 

「取り戻してほしいこと」は「旧暦の感覚」である。この感覚は、実のところ学生の皆さんにとっては「取り戻す」ものでは既になく「新たに身につける」感覚であるかもしれない。

明治5年の12月3日、我が国は旧暦(天保歴)を捨てて、西洋の新暦(グレゴリオ暦)を採用することにした。そしてその日は明治6年1月1日となった。飛行機などの交通網、金融取引、コンピュータネットワークの管理など世界はグローバル化ているため、世界で共通した時間を使用しなければ世の中が成り立たないのは周知の事実であるので、私もこの事実に反論しようとは思わない。

ただ、その際に妙な形で新暦に合わせて生活しようとしたため、日本人の自然観が妙な形でゆがんでしまったのである。新暦と旧暦は一ヶ月ほどずれているのだから季節感がおかしくならない訳がない。草が芽生えない時期なのに「七草がゆ」を食し、一月ずれればほぼ曇るのが分かっているのに梅雨の真っ只中に「七夕」を祝うようになってしまった日本。このおかしさに気がつくために旧暦の感覚を取り戻してほしいのである。そして(矛盾するようであるが)日本の多くの人が新暦で暮らしているので、暦のずれを調整し、その人にとって充実した観光ができるようなアイデアを生み出してほしい。

自然と寄り添って暮らしていた旧暦。その感覚が乏しい人が観光業界についた場合、本人も観光客も悲劇である。

 

3つの「覚えておくべき大切なこと」とは、

1.自然は訪れるに値する

2.自然は保全する必要がある

3.自然は恐ろしい

の3点である。

この3点については後に各々解説していきたいと思っている。この3点に留意できれば、観光関係者として、生態学者や農林水産関係者の人たちとうまく組んで地域のマネジメントができるはずである。

 

『「観光学」を学ぶ人のための「**論」』シリーズを始めます

いよいよ春セメスターが開講する。

今セメスターは、いわゆるマスプロ型の講義科目の受け持ちが多い。「レジャー・レクリエーション論」、「パークス&リゾート論」、「ネイチャー・レクリエーション論」の3科目である。なんと、みんなカタカナ科目。「こんなチャラけた名前では、ろくな講義をやっていないのではないか?」といぶかしむ人も多いかもしれない。

「ろくな講義ができているか否か」については、私本人がジャッジする立場にないのだろう。受講生の判断にお任せする。

ただ、これらの講義科目はいわゆるヨーロッパや北米、オセアニア等の西欧諸国ではごく普通に行われている科目である。レジャー・レクリエーション関係の学部学科が欧米諸国には普通にあり、このような講義を受ける多くの学生が存在しているのである。(平成も四半世紀過ぎてから「欧米では...」という論調を使うのはこっぱずかしい気もする。でも、これは厳然たる事実である。)

東海大学観光学部では、新設の観光系大学にありがちな「専門学校+α」型のカリキュラムや、「第二経営学部や第二文学部」のような看板掛け替え型のカリキュラムは採用していない。観光という実業に対処できる幅広い国際的な教養を持った人間を育てるためのカリキュラムが組まれている。欧米系で盛んなレジャー学を日本の観光学のカリキュラムに取り込んだ経緯もココにある。単に「観光を活用した金稼ぎ = エコノミックアニマル」ではなく、「人として誇れる観光」を我が国に定着させたいと考えている。そのために、レジャー論を学部教育の柱の1つにしようと試みているのである。このような導入の経緯から、学部開講時に文科省に届け出た上記の講義科目がカタカナ科目になったのではないかと思う。(私自身がその手続きに参画したわけではないので推測の域を出ないのであるが...)

 

いずれにせよ、今のところ「観光学部生」に向けた「レジャー論」「パーク論」「ネイチャー論」の教科書は、私の知るところ日本には存在しない。私が大学に赴任してから3年経つ。その間、私はこれらの講義を、自前の資料とパワーポイントで講義を行ってきた。私立文系の「観光学部」に入学してくる学生に、どの程度の前提知識があるのか、どの点に興味を持っているのか、どの水準から講義を開始すべきかなど手探りの状況で進めてきたのが事実である。

今年は学部の完成年、状況もだいたい分かってきたし、そろそろこれらの教科書もまとめていかねばいけない。ただ、いきなり出版用原稿をまとめるには手間と時間が大きくかかる。

 

そういう状況を鑑みて、このブログを活用して「観光学を学ぶ人のためのレジャー論」、「観光学を学ぶ人のためのパーク論」、「観光学を学ぶ人のためのネイチャー論」、をしたためていこうと考えている。

本来の講義は15回で構成されているが、このブログで15回書けるか分からない。また、内容も完璧版ではなく、あくまでブログ仕様で書いていこうと思っている。

ただ、通常の講義を受けている学生の復習にはなる程度の内容を綴っていきたいと考えている。

調査解析や公刊図書・論文執筆、学会委員等の負担は春休み中と変わらないので、ティーチングに加えてブログを書いていくと、夏休みまで相当タイトな日々となろう。しかし、何とか乗り切っていきたいと思っている。途中で挫折したらごめんなさい