東海大学観光学部観光学科 田中伸彦ゼミ

2012年4月 田中ゼミがスタートしました。 2013年3月にホームページをアップしました。

本拠地 

〒151-8677 東京都渋谷区富ヶ谷2-28-4 東海大学観光学部 4号館3階 

TEL.03-3467-2211(代)

湘南キャンパス 〒259-1292 神奈川県平塚市北金目4-1-1 東海大学E館1階教員室1

 

TEL.

0463-58-1211 (代)

2013年

「観光学」を学ぶ人のための「ネイチャー論」(その1) 観光学部生は自然論にどう身につけるべきか

観光学部の学生は自然の何を学をどこまでべば良いか? 答えるのは難しい。

大学で取得すべき単位は124単位。本学の観光学部生の大半は、自然に関係する科目は10単位も履修しないのではないだろうか。そのようなアウエイ的状況で、学生に、自然に対するを知識を覚え、自然を扱う制度を習得し、自然を愉しむセンスを磨いてもらうことは容易なことではない。

学生は、何やかんやいっても時間があるはずだから、学生時代のうちに色々なところに出かけて、たくさんの自然体験をしてほしい。デスティネーションは、何も自然地域でなくても良い、社寺巡りをしようと、スポーツに親しもうと周囲に自然環境はついて回る。立派な自然体験になるのである。秋葉原に通い詰めたって自然からは逃れられない。真夏の茹だるような暑さ、集中豪雨など、普段自然を感じさせないように創られている都市ほど、自然を感じさせる事態が起きたときは極端になりがちである。田舎に行けば田舎の自然、都市に行けば都市の自然を体験できる。学生のうちにできるだけ外に出よう。

ただし、闇雲に外に出ればいいというものではない。それではちっとも賢くならない。君たちの多くは地域の観光をマネジメントする立場に立つ可能性がある。大学生のうちに座学を通じて必要な知識を身につけなければならないのである。しかもしっかり要点を押さえた上で、効率的に学ばなければならない。

そのためには、観光学部生としての自然との向き合い方を理解しておく必要があろう。君たちは生態学者になる訳でも、冒険家になる訳でもないだろう。彼らの自然との向き合い方と観光関係者の自然への向き合い方とは異なる。本講義では、観光学部生として自然に向き合い、自然論を身につけてもらうことを目的で開講する。

もしあなたたちが自然と関係の深い職、例えばエコツアーガイドや国立公園のレンジャーなどになりたい場合には、この講義の内容だけではどうしても知識や技能が不足する。生態学者や森林学者、海洋学者や造園学者などと同じ自然に対する知識と向き合い方が要求される。その様な意向を持っている学生は、別途私の部屋を訪ねてほしい、そのためのスキルをどの様に磨けば良いか相談に乗ることはやぶさかでない。

では、観光学部の学生が自然に向き合うためのポイントは何か? 本日の時点では、1つの「取り戻してほしいこと」と、3つの「覚えておくべき大切なこと」を紹介しておきたい。

 

「取り戻してほしいこと」は「旧暦の感覚」である。この感覚は、実のところ学生の皆さんにとっては「取り戻す」ものでは既になく「新たに身につける」感覚であるかもしれない。

明治5年の12月3日、我が国は旧暦(天保歴)を捨てて、西洋の新暦(グレゴリオ暦)を採用することにした。そしてその日は明治6年1月1日となった。飛行機などの交通網、金融取引、コンピュータネットワークの管理など世界はグローバル化ているため、世界で共通した時間を使用しなければ世の中が成り立たないのは周知の事実であるので、私もこの事実に反論しようとは思わない。

ただ、その際に妙な形で新暦に合わせて生活しようとしたため、日本人の自然観が妙な形でゆがんでしまったのである。新暦と旧暦は一ヶ月ほどずれているのだから季節感がおかしくならない訳がない。草が芽生えない時期なのに「七草がゆ」を食し、一月ずれればほぼ曇るのが分かっているのに梅雨の真っ只中に「七夕」を祝うようになってしまった日本。このおかしさに気がつくために旧暦の感覚を取り戻してほしいのである。そして(矛盾するようであるが)日本の多くの人が新暦で暮らしているので、暦のずれを調整し、その人にとって充実した観光ができるようなアイデアを生み出してほしい。

自然と寄り添って暮らしていた旧暦。その感覚が乏しい人が観光業界についた場合、本人も観光客も悲劇である。

 

3つの「覚えておくべき大切なこと」とは、

1.自然は訪れるに値する

2.自然は保全する必要がある

3.自然は恐ろしい

の3点である。

この3点については後に各々解説していきたいと思っている。この3点に留意できれば、観光関係者として、生態学者や農林水産関係者の人たちとうまく組んで地域のマネジメントができるはずである。

 

「観光学」を学ぶ人のための「パーク論」(その1) 観光学におけるパーク(公園)論の位置づけ

問1:観光学部生は、なぜパーク論を学ばなければいけないのであろうか?

問2:ところでパークっていったい何なのだろうか?

この講義を受講する学生は、何はともあれ、まず上記の問いに答えられるようになってほしい。

はじめの問いについての答えは「パーク(公園)」は、多くの観光客が訪れるデスティネーションであるからである。言わずと知れたテーマパークである東京ディズニーリゾートには年間2700万人あまりの入園者があることは、観光学の学生なら結構知っているのではないかと思う。実は、日本の自然公園にはそれを圧倒的にしのぐ9億人ほどの入り込み者が毎年あるのである。国立公園に限っても3億5000万人から4億人程度ある。環境省は実は国内で最も巨大なパーク管理者であると言える。

2つめの問いの答えは、下記の通りである。

「公衆のために設けた庭園または遊園地。法制上は、国・地方公共団体の営造物としての公園(都市公園など)と、風致景観を維持するため一定の区域を指定し区域内で種々の規制が加えられる公園(自然公園)とがある。 (広辞苑より)」

要するに、庭園、遊園地(テーマパークを含む)、都市公園、自然公園の4種類がある。ただし、プライベートな庭園や遊園地は公園の範疇に入らない。(プライベートな遊園地などないと思う人もいるかもしれないが、生前のマイケル・ジャクソンはプライベートの遊園地をつくっていましたね。)

観光学部の学生は、この4種類のパーク(公園)を満遍なく学ばなければならない。竜安寺の石庭、ベルサイユ宮殿、USJ、ニューヨーク・セントラルパーク、イエローストーン国立公園...どれも世界各国から観光客を集める国際観光デスティネーションである。これらすべてを満遍なく学ぶ講義科目は、実のところ国内にはあまり存在しない。自然公園だけ、テーマパークだけを教える科目は国内にいくつも存在する。しかしそれでは観光学の科目としては不十分なのである。そういう思いで、この講義は構成されている。上記に挙げたパーク(公園)の共通点は何か、また観光学部生が覚えるポイントは何かを的確につかんでほしい。

観光学部の学生の大半は自然公園のレンジャーを目指さない。テーマパークのイマジニアにもならない。作庭師になる確率はほぼゼロであろう。しかし、観光学を修めたからには、これらの人と仕事の話ができる知識とセンスは身につけてほしい。

その様なスタンスでこの講義は構成されているのである。

 

「観光学」を学ぶ人のための「レジャー論」(その1) 観光学におけるLR科目群の位置づけ

本講義は観光学部の講義である。将来観光に関連する職につく人、観光に関わる研究に携わる人などがこの講義を受講することを想定している。

 

本学では観光学を4つの切り口から学ぶように科目群を設定している。それぞれ「観光文化科目群」「サービス・マネジメント科目群」「地域デザイン科目群」「レジャー・レクリエーション(LR)科目群」と呼んでいる。これらの科目群は、「観光」という現象を4つに細かく切り分けて、4分の1ずつの内容を教えるものではない。どの科目群も観光全体を捕らえている。ただ、「観光」という現象に対峙する切り口が違うということである。まずそこをしっかりと把握しておいてほしい。

 

講義名からも分かるとおり、本講義は「LR科目群」に相当する。今回のブログでは、この科目群の構成と、科目群における「LR論」の位置づけについて解説したい。(他の科目群は時間があったら別の日のブログで解説したい。)この科目群に相当する科目には、実習・研修なども含めると20あまりが該当する。

 

さて、「LR科目群」では、観光をどの様に捕らえているのか?「デスティネーション・マネジメント」というキーワードをかませると、理解しやすくなる。

「観光」という行為には、何が欠かすことができないのであろうか?JTBや近ツリのような旅行業者?電車や飛行機のような運輸産業?宿泊するためのホテルや旅館? 確かに、それらの産業は現在の観光を語る上で重要な位置づけにある産業であるし、この学部を卒業した多くの学生がこれらの産業へと旅立っていくのであろう。

しかしながら、である。自分で情報を集めて宿や乗り物を手配すれば、必ずしも旅行業者はいらない。歩いて行けば電車も飛行機もいらない。野宿をしたり知人のうちに泊めたりしてもらえば宿泊業者も必要ない。つまり、これらの産業は絶対に欠かすことのできない要素ではないことが分かる。

 

では、「観光」に必要不可欠なものは何か? 結論を急ごう。2つある。

 

1つ目は観光に出かける「人」である。人がいなければ観光という現象は成立しない。もちろん想像の世界では「犬の観光」とか「宇宙人の観光」などといったことも考えられるが、あくまでも想像、SFの世界。こういうことを考えても現実的ではない。「人」は観光に必要不可欠なのである。ただし、条件がある。年がら年中働いている人は観光に出かけることができない。「余暇時間を持った人」でなければ観光はできない。また、「余暇を遂行する能力のある人」であるというのも重要である。自分のうちから遠く離れて出かけても、風景に感動することも、郷土料理を楽しむこともできなければ観光したとは言えない。さながら「市中引きまわしの刑」にあっている罪人と何ら変わりはない。たまに旅先でも一日中ゲームをしている子供や、携帯から離れることができない大人がいるが、そういう人間は場所を移動したとしても、ツーリズムのお客にはなるのだろうが、観光したとは言えないであろう。(「観光」と「ツーリズム」の違いについては『「観光学」って何をしているの?(3)教養学の実学版である「観光学」』の号を参照)

 

では、2つ目は何か? それは観光の「目的地」である。人がいても、行く場所がなければ「観光」という現象は成立しない。観光のための「目的地」のことを、我々は「デスティネーション」と呼ぶことも多い。

目的地は様々なものに分類可能である。切り口はいくつかあるが、まずは目的地の「自然」に魅力があるのか、「文化」に魅力があるのかといった分け方がある。本学では、「観光文化」の科目群があるので文化的要素を「LR科目群」で扱うことは少ない。(自然についてはLR科目群のカリキュラムで教えることになっている。)

また、魅力のある目的地(ツーリスト・アトラクション)は、「観光資源」「観光施設」「パーク」「イベント」「(世界遺産などの登録)制度」「スポーツ会場(活動・参加)」などに分けられる。観光学を学ぶ学生はこれらのデスティネーションがその様な意味を持ち、どの様な経営・運営・管理をしなければいけないかを学ぶ必要がある。要するに「デスティネーション・マネジメント」である。観光学の学生は「デスティネーション・マネジメント」のセンスが高くなければいけない。

 

LR科目群図はクリックで拡大

 

改めてまとめると、上記図内の黒字で示した部分のとおり、観光とは「人が目的地を訪れる現象」であると定義できる。

そして、本学のレジャー・レクリエーション分野では、人を「余暇時間と余暇を遂行する能力を持った人間」と捉え、その人間が自由裁量時間の中で「娯楽・休息・祭礼」などのために「目的地(デスティネーション)」を訪れる現象を総合的に取り扱う。

上記の分野を体系的に教育するため、LR科目群の個別科目は6つのカテゴリーから構成されている。

 

1つ目が「全体像の俯瞰」である。学部生がレジャー・レクリエーションという学問分野の全体像を理解するために置かれている科目である。これは学部初期に導入的に行われる「レジャー・レクリエーション入門」と、学部後期に総括的に行われる「レジャー・レクリエーション総合研究」の2科目からなる。

2つ目が、「余暇時間と余暇を遂行する能力を持った人間」という、人的側面を理解するために置かれている科目である。これには「レジャー・レクリエーション論」の1科目が該当する。

3つ目は、「娯楽・休息・祭礼」などのために訪れる「目的地(デスティネーション)」の特性の理解である。これには「レジャー・レクリエーションリソース論」、「ファシリティ・デザイン論」、「パークス&リゾート論」、「イベントプランニング論」の4科目が該当する。なお、場所を囲ったり設備を設けたりするものるものではないが資産登録などを通じてデスティネーションとしての一体性を持たせる「制度」的側面については「世界遺産論」、「日本の文化財」など、他科目群で関連の深い教育がなされている。

4つめは、デスティネーションの自然性/文化性という種別に係る特性に関する理解を深めるための科目である。これには「ネーチャー・レクリエーション論」の1科目が該当する。なお、文化性に係る科目については「観光文化科目群」において原則開講されている。

5つめは、「レジャー・レクリエーション活動・産業を管理する人材の育成」に係る科目である。これには「レジャー・レクリエーションサービス論」、「レジャー・レクリエーションマネジメント論」、「レジャー・レクリエーションリーダーシップ論」の3科目が該当する。

6つめは、「レジャー・レクリエーションの実践を通じた理解」を深める科目である。これには「安全と救急救命1・2」、「レジャー・レクリエーション実習(夏季・冬季)」、「観光学実習」、「観光学研修」、「キャリア開発」が該当する。

『「観光学」を学ぶ人のための「**論」』シリーズを始めます

いよいよ春セメスターが開講する。

今セメスターは、いわゆるマスプロ型の講義科目の受け持ちが多い。「レジャー・レクリエーション論」、「パークス&リゾート論」、「ネイチャー・レクリエーション論」の3科目である。なんと、みんなカタカナ科目。「こんなチャラけた名前では、ろくな講義をやっていないのではないか?」といぶかしむ人も多いかもしれない。

「ろくな講義ができているか否か」については、私本人がジャッジする立場にないのだろう。受講生の判断にお任せする。

ただ、これらの講義科目はいわゆるヨーロッパや北米、オセアニア等の西欧諸国ではごく普通に行われている科目である。レジャー・レクリエーション関係の学部学科が欧米諸国には普通にあり、このような講義を受ける多くの学生が存在しているのである。(平成も四半世紀過ぎてから「欧米では...」という論調を使うのはこっぱずかしい気もする。でも、これは厳然たる事実である。)

東海大学観光学部では、新設の観光系大学にありがちな「専門学校+α」型のカリキュラムや、「第二経営学部や第二文学部」のような看板掛け替え型のカリキュラムは採用していない。観光という実業に対処できる幅広い国際的な教養を持った人間を育てるためのカリキュラムが組まれている。欧米系で盛んなレジャー学を日本の観光学のカリキュラムに取り込んだ経緯もココにある。単に「観光を活用した金稼ぎ = エコノミックアニマル」ではなく、「人として誇れる観光」を我が国に定着させたいと考えている。そのために、レジャー論を学部教育の柱の1つにしようと試みているのである。このような導入の経緯から、学部開講時に文科省に届け出た上記の講義科目がカタカナ科目になったのではないかと思う。(私自身がその手続きに参画したわけではないので推測の域を出ないのであるが...)

 

いずれにせよ、今のところ「観光学部生」に向けた「レジャー論」「パーク論」「ネイチャー論」の教科書は、私の知るところ日本には存在しない。私が大学に赴任してから3年経つ。その間、私はこれらの講義を、自前の資料とパワーポイントで講義を行ってきた。私立文系の「観光学部」に入学してくる学生に、どの程度の前提知識があるのか、どの点に興味を持っているのか、どの水準から講義を開始すべきかなど手探りの状況で進めてきたのが事実である。

今年は学部の完成年、状況もだいたい分かってきたし、そろそろこれらの教科書もまとめていかねばいけない。ただ、いきなり出版用原稿をまとめるには手間と時間が大きくかかる。

 

そういう状況を鑑みて、このブログを活用して「観光学を学ぶ人のためのレジャー論」、「観光学を学ぶ人のためのパーク論」、「観光学を学ぶ人のためのネイチャー論」、をしたためていこうと考えている。

本来の講義は15回で構成されているが、このブログで15回書けるか分からない。また、内容も完璧版ではなく、あくまでブログ仕様で書いていこうと思っている。

ただ、通常の講義を受けている学生の復習にはなる程度の内容を綴っていきたいと考えている。

調査解析や公刊図書・論文執筆、学会委員等の負担は春休み中と変わらないので、ティーチングに加えてブログを書いていくと、夏休みまで相当タイトな日々となろう。しかし、何とか乗り切っていきたいと思っている。途中で挫折したらごめんなさい

2013年4月4日 東海大学紀要観光学部に報告が掲載されました(2013年3月20日付)。

平成11年度の夏に行われた観光学研修「国立公園とディズニーリゾートin the USA」の報告記事が、本学部紀要3号に掲載されました。

この研修は、観光デスティネーションとして重要な役割を担っている「パークとは何か?」について、現地巡検を踏まえて考察する目的で開催されました。世界初の国立公園であるイエローストーン国立公園とフロリダのディズニーリゾートをはしごするツアーです。実は相当な弾丸ツアーです。

普段、2つは結びつかないかもしれませんが、国立公園(National Park)もテーマパークも「パーク」です。そして、観光産業的に見て重要です。日本では年間数億もの人が国立公園に出かけ、ディズニーだけで年間数千万人の入り込みがあるわけです。どちらも見過ごすことができません。

一見正反対にも見える両者がなんでパークとよばれるのでしょう? それを現実に体験してもらうためにアメリカを目指します。なぜならどちらのパークも、アメリカが老舗なのですから。さて、答えは何でしょう? 「詳しくはWEBで!」と言いたいところですが、ここはWEB上なので...「パークス&リゾート論」などの講義を聴きに来てください。

実のところ、報告レポートが出たのは良いのですが、私には理解できない編集方針で、(著者への断りなしに)写真がすべて抜かれていたのは非常に残念でした。この手のレポートは研修中の臨場感が伝わる写真こそ大切なのに..近々時間ができたら写真入りバージョンをつくり、独自にWEB上へアップしてみようと思っています。

「観光学」って何をしてるの(9) 「観光学」の水準が、国際的には高くない点

本日は最後の話題、

8. そもそも日本の「観光学」の水準が、国際的には高いとはいえない点

について述べてみたい。今回も前回に引き続き、教員側から言えば禁断の話題になるかもしれないが...

 

我が国の大学における観光学は半世紀近く前までさかのぼることができるものの、いくつもの大学に観光学部・学科やコースが設立されるようになったのは21世紀に入ってからに過ぎない。日本では観光学は未熟で新しい分野であると言える。そのため、カリキュラムや教員の水準を、国際的に比較した場合には、出遅れ感が否めない状況にある。

例えば、もしあなたが、世界を股にかけるホテリエになりたい場合、その水準に十分見合ったホテル学を身につけられる大学が、日本にあると言えるだろうか?私個人の意見としては、日本の学部教育で終わりにせずに、コーネルやハーグ等の大学院に進むことをお勧めする。大学院に行くのは、一旦日本のホテルに就職してからでも良いかもしれない。そのほうが教育の意図が理解でき、自分の血肉になりやすいだろう。

いずれにせよ、高級シティホテル業界をはじめとして、観光に関連する業種は、国際水準で動いているところが少なくない。そういうところは、実力本位の学歴・資格ベースの世界である。どこで、何を身につけたかが、シビアに見られる。私自身は実業界に進まず、(国立)研究所→大学というキャリアを進んできた訳であるが、実力本位の世界は少なからず体験している。研究の世界もある意味国際的である。日本国内にノンビリ納まっている教員(文系学部には結構いる)が感じることは少ないが、国際学会や研究プロジェクトで海外に出かけたとき、例えば博士号を持っているか否か、教授であるか否かで大きく待遇が区別されることがある。そもそも呼ばれ方が、「ドクター**」「プロフェッサー**」であったり、「ミスター**」であったりするので、普通の会話の段階で明らかに区別されてしまうのが学術の世界である。「ミスター**」は基本的に学術界では一人前として相手にされないことが多い。2チャンネル風に書けば「プロフェッサー**」>「ドクター**」>>>>>「ミスター**」といった感じであろうか。もっとも、日本には「プロフェッサー・ミスター」という国際的には例外的な人種がたくさんいることを、多くの外国人は気づいてないようであるが。

学位や資格で判断することは国際社会では仕方のないことである。私だって、国際会議で初めて出会う外国人が、それなりの研究者なのか、学生レベルであるのか(外国では結構年のいった人が学生であることも少なくない)、単なる一般人なのか、見た目だけでは判断できない。そのため、博士号があるのか、どのような分野で博士論文を書いたのか、現在教えているのは大学なのかあるいは国立研究所などで働いているのかなどを、挨拶代わりに自己紹介し合うことになる。国際的な交流では仕方がないのである、日本人から見れば多くの西欧人は体が大きく貫禄がある。でもそんな人が博士号取得前の「ミスター」だったりするわけである。いずれにせよ、自己紹介の結果、互いにちゃんとした研究キャリアを積んでいて、かつ研究分野が近いと分かると、研究的なつきあいが始まることとなる。

このような交流の仕方はホテル業界でも変わらないであろう。ホテル業界では博士号にそれほどこだわることはなく、他の資格や職歴が重視されるのであろうが。

 

さて、話が脱線しかけているように見えるが、一応伏線を考えながら話をしてきたつもりである。「日本の「観光学」の水準が、国際的には高いとはいえない点」を解決するには、「教員側が対応すべき課題」と「学生側が行うべき課題」に分けられる。

実のところ、我々教員が「観光学部に入学してきたみんなに講義をすること」は容易い。相手が高校卒業の学力で、社会人経験がない無垢な学生なので、学術的に長けていない普通の社会人でも、皆を言いくるめることはさほど難しくないのである。教員は多くの場合いい歳なので「自分の知っている二次情報やよもやま話」を、適当に誤魔化し誤魔化し話していれば学生に対する優位は保てるものである。ただそれでは、本来のカリキュラムでは「大学の学士として最低限達成しなければいけない教養水準と専門水準」をクリアさせるために高度な内容に、学生を導いているかどうかはなはだ疑問である。

「大学の学士として最低限達成しなければいけない教養水準と専門水準」をクリアするために、我々教員はただティーチングを行うだけではなく、国際学会に出席して国際的な研究動向を確かめたり、論文投稿などをして国際的な研究水準の向上に貢献するという業務をしている。これらを「研究業務」というが、この研究業務なくしては大学で教鞭を執る水準は保てない。今も何本か抱えているが、国際誌の学術論文の査読を引き受けるのもその様な理由からである。審査内容を公開はできないが、何よりも早く最新の研究動向をつかむことができる。いずれにせよ、教員は国際的水準の維持のための努力を欠かすことはできない。

 

学生の課題は常日頃の講義やゼミに臨む態度である。皆さんには是非講義中、講義前後に積極的に質問をしてほしい。そうすれば教員側も手を抜けなくなり水準が上がる。オフィスアワーも積極的に活用してほしい。就活生だってまだまだ間に合う。面接やエントリーがうまくいくか行かないかの確率は、まともな教員とどれだけ対峙したかという経験で向上する。「自分よりも学生を伸ばしてていこうとしている教員」をうまく探そう。「たいした実績もないのに頼れる兄貴・親分を演じる人」には要注意である。そういう人は「巧みに普通のこと」をありがたそうに話すだけで、たいした実力の向上は望めない。実力のない人ほど話術を磨くと言うことがままあるので、引っかからないように注意しよう。講義ではなかなか伝えきれないが、ちゃんとした教員であれば「国際的な水準」を理解しているはずなので、現在の講義と国際水準とに、どの様なギャップがあるのかを解説してくれるだろう。

分かっていれば講義で教えれば良いではないかというお叱りが来そうであるが、そうはなかなかいかないのである。自分が持てる講義は6コマ程度である。他の科目は、科目として学生に直接教えることはないのである。さらに言えば、その数コマも、100人規模の大講義が少なくない。一定の水準を確保してきめ細かな指導を行うことは難しいのである。現状では、日本のマスプロ講義で水準の高い講義を提供するのは難しいのである。 「学生側に積極的に質問をしてほしい。」というのは切なる願いである。サンデル教授の講義DVDなどが評判になっているが、あれは積極的な学生が集まっているからこそできる講義である。東海大にもあのような講義を行いたい教員はいっぱいいると思う。

日本の観光学は、発展途上にある。かえってそういう学問は、ちゃんとした実力を持った教員を交えたディスカッションを行うことで、学生の水準が格段に向上する可能性が十分あるのである。是非とも教員を使い倒すぐらいの意気込みで講義に出席し、ディスカッションを行い、観光学の水準を上げる力になってほしい。入学からその様な実践を積んでいれば、就活の面接でひるむことはないはずである。

 

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以上、長々と続いたが、「観光学って何をしてるの?」と聞かれたときに、就活生が困っているという意見を聞いたので、その理由や背景を赴くままに覚書として綴ってみた。その場で書き下ろしていくため深い考察ができなかったり、重要な論点が抜けたり、話が脱線することも間々あったかと思う。その点についてはご容赦願いたい。就活は毎年続く。観光学部の学生は、毎年順番に「観光学とは何か」を就活面接で悩み続けるのであろう。その対応に際して、このブログが多少でも”タシ”になれば良いと願っている。

何はともあれ3月も終わる。この話題については一旦これでおしまいとする。

 

「観光学」って何をしてるの(8) 観光学を専門とした教員が十分いない点

今回はある意味、禁断の話題である。「観光学って何をしているの」かが分からない理由は、何も学生のせいだけではなく、教員の側にもあるような気がしてならない。本日のコラムでは、

7. 新設学部・学科の多い日本の観光系大学の中には、元々観光学を専門にしていない教員が配属されることも少なくなく、結果学生が何を学んでいるのか理解できなくなる点

について解説してみたい。

 

以下の講義ないしは教員に出くわした場合は要注意である。

・自分の企業での体験談をそのまま学生に伝えている →(無垢な学生には人気はあるが)そんな話は就職後の上司の飲み話でいやと言うほど聞かされる。それが現実なので、学生時代に体験談を聞いても、就職後に自分の身に残る学問的価値は、ほぼゼロの講義である。

・理論や知識を深めるはずの講義科目なのに、自分でしゃべらずやたらと社会人外部講師を呼んでくる → 担当教員にすべてをのコマを埋める学術的中身のない証拠(ただし、社会人の「ココだけトーク」は、あまり勉強好きでなく、TVのバラエティ番組好きな学生に大人気の講義となる)。本来は話しに来た社会人が聴講したくなるような水準の講義を、専任教員自身が提供しなければならない。

・屋外に連れ出すだけ連れ出すが、理論背景を伝えない → 「観光学は実践だ!」と息巻いて屋外に出かけ、まちづくりの手伝いをさせたり自然散策をさせたりするが、理論的背景を全く教えない(教えられない)。そして「現場で得た経験が学生の糧となる」とお茶を濁す。(確かに「感じる」ことは「知る」ことよりも何倍も大切である(byレイチェル・カーソン)。でも「感じる」だけでは、「思うて学ばざれば則ち殆し」の状況に陥る(by孔子))このような講義ばかり行う教員は自分の活動が素晴らしいと思い、満足している(酔っている)ことが多いので危険。

・「学生提案のツアー企画」などを講義最大の売りとする → 学生提案のコンペなどに参画させること自体は非常に良い取り組みだと思う。ただ、「学生提案のツアー企画」は、「提案者が学生でない場合には相手にされない企画」であることも多いので、講義の売りとするのはちょっと恥ずかしい。もう一歩上の専門的職能を与えなければいけない。

・長期の宿泊型研修に参加して単位を取ったが普通の旅行とたいして変わらなかった → 珍しい場所に連れて行けば、自分が学生に教育を施したと勘違いする教員が少なからずいる。学生だけでそこに行っても同じ学習効果が得られる。教員は必要ない。

・大学HPの教員研究業績欄やCiNiiやREAD&RESEARCHMAP等を見ても、学術論文がない(あっても紀要や図書の分担執筆程度) → 他者からピアレビュー(学術内容の審査)を受けてそれにパスして初めて掲載される学術論文をコンスタントに出せない教員が、どのように卒論指導をしているのか不思議である。

・(実務家出身でもないのに)博士号がなく、その割にはやたらと権威ぶる(威張る) → 学問に対する謙虚さがないと同時に、同じ分野の研究者同士で比較した場合に実力に欠ける人材である場合が多い。

・出身分野の学問にすがりつく → 「私は元々**学だから」と、頻繁に言う教員は要注意。元々の**学の世界に残れずはじき出されてきた可能性が大。そんな人に教わるのであれば元々の**学部に進学した方がまし。加えて言えば、このような言動を頻繁にする人は、観光学に自信がないからこそ、そう言い続けるのである。

・統計学の基礎が分からない → 観光学であればどのような学問基礎に立っていても統計学の基礎知識は必要。複雑な多変量解析をすべて数式で説明できなくとも良いが、最低限どの様な解析手法なのかを理解しておくのが教員としての常識ではないか。その様な教員につくと、例えば学生が卒論でアンケートをしても、ろくな結果をまとめられなくなる。

まだまだ挙げられそうだが、このぐらいに止めておこう。もちろん、124単位を取得せねばならない大学4年間の講義の中では、部分的に社会人講師を呼ぶ科目があろうし、実習・研修で屋外に出ることもあるだろう。その行為自体を否定しているわけではない。問題となるのはTPOをわきまえていない講義、提供内容の質が低い教員である。

上記すべてを一言でまとめれば、「観光業にいたが学問を修めていない実務系教員と、他分野の学問はやってきたが観光が分からない研究系教員がいる」という事実である。誤解しないでほしいが、どちらも素晴らしい教員が観光学にはたくさんいる。一方で、上記のように帯に短したすきに長しの教員がいることも事実なのである。場合によっては「どちらも今ひとつ」、という人もいるかもしれない。

国立理系の学生からしてみると、上記の例に挙げたような人が大学教員に収まっていること自体が不思議というか「ありえない」事態であろう。しかし、観光学に身を置く様になり、様々な大学の教員と交流するようになってから、その様な人に少なからず出会ったのは事実である。

ちょっと考えれば分かることだが、観光系の学部・学科・コースなどを持つ大学や短大は、今や100に迫ろうかという勢いである。つい十数年ほど前にはほとんどなかったのであるから、教員となる人材をどこから持ってきたのか摩訶不思議な状況であることは間違いない。元々観光を研究していた教員や研究者もある程度はいるが、それで十分人員を埋められるとは思えない。

たった今、国立国会図書館のデータベースで検索したところ、現在、我が国で博士号を取得した人材は65万人ほどいるようであるが、そのうち「観光」をタイトルに入れた学位論文をまとめた人間は169人に過ぎない。169人いるとしても、すでに高齢の人もいるだろうしまだまだ若くポスドク段階の人もいるであろう。加えて外国人が少なくない。外国人が日本で教鞭を執ることもあるが、日本から離れる確率が高い。

観光に精通した博士でも、タイトルに観光を使わない場合もあるだろうから、それを加味する必要があるが、このような人数しかいないのであれば、首をひねる様な人材が何となく観光のポストに座っている場合も少なくないのではないか。

例えば、「経営学の知識があれば観光など片手間に教えられる」などと言うわけはない。それは観光に特化した経営学ではなく「観光に劣化した経営学」以外の何物でもない。そんな講義をとらなければいけないのであれば、経営学部に行けば良い。なぜなら、経営学部では、観光学部にはじき出されなかった本流の経営学者からの指導が受けられるに違いないからである。

以上今回の課題を述べてきたが、就活に跳びまわっている学生はどう対処すれば良いのか。それはちゃんとした教員の講義をとり、ちゃんとした教員のゼミで学問を深めることですよ。「もう100単位以上とってしまったし、ゼミ配属も決まっている」って?その場合には私も解決策がありません。良い講義を取り、良いゼミに当たっていれば良いですね。そうでない場合には、ご愁傷様。自分で選択した講義であり、ゼミであるのだから。大学とはそういうところです。

 

「観光学」って何をしてるの(7) 観光は学問ではなく経験だと信じる人

本日は、

6. 「観光は学問ではなく経験だ」と信じ、学問の重要性をいぶかしむ業界人が多い点

について考えよう。

就活で、「観光学はいらない」「観光学系大学で身につけた能力は役に立たない」と頑なにに信じている面接官に当たった場合は悲劇である。

観光学の必要性を、その場で納得してもらうのは相当困難であろう。就活の面接は一期一会、短時間ですべてが終わる。その様な面接官に当たった場合には「観光学は大切云々...」と説得を試みるより、切り替えて、素の自分自身を見てもらう様にしよう。上記のような面接官であっても、観光学が自分の会社にマイナスになるとも思っていない場合が多い。アドバンテージがないだけで、他の学部の学生と同じスタートラインには立っている。あなた本人がしっかりした学生であれば勝ち抜く可能性は十分ある。

 

ところで、世界各国に観光学部があるわけであるから、「観光学部が大学教育になじまない」という考えは、どう考えても説得力がない。世界中が勘違いしているとでも言いたいのであろうか。観光学部には十分存在価値がある。しかしながら、「観光学系大学で身につけた能力は役に立たない」という業界側の意見にも、いくつかの理があるのも事実である。

 

一つ目の理由は、急増した大学観光学で教鞭を執る人材が不足しているので、観光系大学のカリキュラム編成や教育水準が十分保証できていない機関がある(かもしれない)点である。この点については次回のコラムで取り上げるので今回は触れないでおこう。

 

二つ目の理由は、「実務は教科書通りやっていれば成功するとは限らない」点である。

スポーツだって同じである。スポーツ科学のセオリーに忠実に従って日々トレーニングを重ねたからといって、確実に優勝できる訳ではない。同じ理論でもっとトレーニングを積んだ人がいて、その人の後塵を拝すこともあろう。体調が悪くて負けることもあろう。フロックで負けてしまうこともある。奇襲作戦にまんまと引っかかってやられてしまうこともあるだろう。同じように、観光学の知見を日々高めたからと言って必ずしも業界で勝ち残れるわけではない。そして、あまり研鑽を積まなかった人がフロックで勝ち残ることもああろう。

テレビなどのマスコミは、セオリーなど知らずにいた人が実業界で成功するケースほうがおもしろおかしく番組ができるので、そんなドキュメンタリーばかりが放映されがちである。マスコミを無批判に信じがちな人が多いが騙されないように気をつけた方が良い。現実の世界でそういうケースがあるからと言って、観光学を修め、セオリーを身につけることがマイナスであろうはずがない。決して、そんな結論は導けない。学問を修めることで、実力が増し、勝ち残る確率は高まるのである。フロックで足下をすくわれる確率も計算できる。奇襲作戦にだって、学問を修めてこそ適切に対応できるのである。

三国志(演義)の諸葛孔明はご存じであろうか。彼がいたからこそ劉備玄徳はあの時代を勝ち抜けたのである。張飛ばかりいっぱいいてもどうしようもない。

 

三つ目の理由は、「イノベーションのジレンマ」と言っておこう。

ハーバード大のクリステンセン教授の名前は聞いたことがあるだろうか。もしかしたら観光系経営学だと学部教育の段階では彼の理論は出てこないかもしれない。クリステンセン教授が唱えた理論の1つが、「イノベーションのジレンマ」である。

この理論は、「観光学を修めた様な優秀な学生」は、大学(院)で習った先例を元に「創造的イノベーション」を重ねて事業を成長させ、自分の会社を優良企業にするのであるが、ある日突然「破壊的イノベーション」に足をさらわれ、企業を傾かせてしまう原因にもなるという現象を説明している。その際、「観光学を修めた様な優秀な学生」は、足をさらわれるまで、ゆめゆめ気がつかないのである。大胆に言ってしまえば、観光学を修めた人がたくさん集まり、共通の学問的ベースを元に企業の効率を高めていくと、失敗することがあるのである。

 

...ちょっとわかりにくい説明だって。仕方がない。具体的な事例を挙げてみよう。ある旅行業者(A社)があったとする。(時代は平成としよう。)

旅行業者A社は、カウンターでの対面販売というビジネススタイルをとる業界有数の企業であった。A社に就職した優秀な職員は、大学で学習した観光経営論やホスピタリティ論などの理論に忠実に、各駅のすぐそばのビル1階にカウンターをたくさん展開し、丁寧なお客様対応を徹底させる企業戦略を採ることにした(→これらが「創造的イノベーション」に該当する)。お客様第一のA社の企業戦略はばっちり当たった。多くのお客さんが気軽に立ち寄ることができ、接客の良さからリピーターの獲得にも成功し、A社の売り上げや利益は年々拡大した。A社は順風満帆の優良企業で、将来は盤石だと誰もが信じていた。

しかしながらである。21世紀に入ってからはインターネットが発達し、WEBで24時間いつでも旅行商品を買える時代が到来した(→これが「破壊的イノベーション」に該当する)。IT時代を見越したかのように、新興WEB旅行会社B社が台頭し、費用のかかるカウンター業務に力を入れずに、WEB取引に特化した経営戦略で業績を伸ばし、業界有数の旅行会社へとのし上がっていった。

このような時代の中でA社はどうなったか、お客さん第一に考えて今まで行ってきた戦略が重荷になっていったのである。カウンター販売に基づいた「創造的イノベーションの成果」は、WEB販売という「破壊的イノベーション」に足下をすくわれた。駅前に数多くあるカウンターは、元々家賃は高いし人件費がかさむ。お客様は、丁寧な接客は大好きだが、いつでもどこでも商品が買えるWEB販売のほうが魅力的である。必然的にカウンターからは足が遠のくことになる。人の来ないA社のカウンターは、家賃を節約するために駅前の1階から遠くの5階に移ることになり、人件費の抑制のためにカウンタースタッフも減らさざるを得なくなった。そうすると元々の企業戦略であったアクセスの容易さや接客の質が落ち、ますます客が遠のいた。結果、A社は倒産してしまった。A社の売り上げや利益は、きれいさっぱりB社に持って行かれてしまったのである。

A社は、お客様の意向をしっかり把握し、その欲求に応え、企業の組織やシステムを繰り返しイノベートしていったのに...

 

上記のようなことが、世の中ではまま起こるのである。レコード針、ポケベル、プリントゴッコなど、昔はどの家庭にも普通にあった商品が消えていった事例は枚挙にいとまがない。これらの製品をつくっていた企業はお客様のニーズを的確に把握し、各商品の性能の向上に大きく力を注ぐべく会社をイノベートしていたはずである。しかしそれらの商品は、現在IPod、スマホ、家庭用複合機(プリンター)に取って代わられ、使われることはなくなった。使われることが予定されている商品やサービスにイノベーションを起こしても虚しい。創造的イノベーションにばかり目をとられていると、破壊的イノベーションの到来に対応できないかもしれないのである。

技術革新が日進月歩の現代にあっては、大学で理論化された創造的イノベーションの知見が陳腐になるのも速い。そんな現実にさらされていると、疑心暗鬼になる。自分のノウハウが陳腐化してしまったサラリーマンが「大学の学問は役に立たない」と愚痴をこぼす気持ちも分かる。

...だからと言って、大学の学問を修めずに経験だけを磨けば良いのではない。逆である。だからこそ、大学で理論を身につけ、センスを磨き、破壊的イノベーションを関知できる視野を広げる必要があるのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「観光学」って何をしてるの(6) 業種・業態が多岐にわたる点

今回は、

5. 「観光学」に関係する業種・業態が多岐にわたり、就職先も多様である点

について語ってみたい。

先週、「観光学部は旅行業への就職予備校ではない」という話をした。実態としては、もちろん多くの学生が旅行業者や運輸業、宿泊業等のいわゆる旅行業界に職を得ていくわけである。しかし、観光立国推進のために大学の学問に期待されていることは、これらの業界に就職することだけを目的に、ピンポイントで実務的(オペレーショナル)な専門スキルを学生に教えることではないのは、皆さんすでに理解いただけたことと思っている。

これからの観光学は、経営学、商学、経済学、地理学、社会学、心理学、土木工学、都市工学、建築学、環境、農学などの各領域に広範囲にわたり分散した学術的知見を学際融合させることが、国から期待されている状況であることを前回述べた。

...ということは、観光学を修めて社会に出て行く人、つまり実業である観光業に携わる人たちには、多岐にわたり分散する観光関係の業種・業態を、地域の発展・振興のために業際融合させていく実務能力が求められているわけである。そして、観光学部卒業生各自が実際に働くフィールドは、様々な企業や組織、あるいは個人活動に及ぶことになる。

 

さて、これでやっと今日の本題に入れるのであるが、「業種」という言葉がある。経営学関係の講義で習ったであろうし、就活生なら馴染みの言葉だろう。

「業種」とは、「営利目的等で経営される企業・組織の事業内容の種類」のことで、大まかに分けると農業、建設業、製造業、サービス業など、もうちょっと細かく分けると畜産業、設備工事業、繊維工業、通信業などに分けることができる。さらに細かく分類することも可能であるが、きりがないのでここではやめておく。

ところで...であるが、「観光業」という業種は、統計上ないのである。 意外だっただろうか。それともとっくに知っていたであろうか。

日本では、総務省の『日本標準産業分類』に従って産業を分類することが多い。そのルールに従うと、観光業は1つの業種にまとまっていないのである。

平成19年11月改定の最新の日本標準産業分類では、我が国の全業種を、とりあえずAからTまで20に大まかに分類している。観光業に深く関わる業界をちょっと考えただけでも、

食材提供(山の幸)は、A 農業,林業

食材提供(海の幸)は、B 漁業、

観光まちづくりや再開発は、D 建設業

特産物の生産は、E 製造業

旅行ガイドの出版は、G 情報通信業

航空会社やバス・鉄道は、 H 運輸業,郵便業

土産物屋は、 I 卸売業・小売業

旅行傷害保険は、J 金融業,保険業

レンタカーは、K 不動産業,物品賃貸業

通訳案内士は、L 学術研究,専門・技術サービス業

ホテル等は、M 宿泊業,飲食店

旅行業者やブライダル産業・テーマパーク等は、N 生活関連サービス業,娯楽業

動物園や博物館・美術館は、O 教育学習支援業

検疫などの業務は、P  医療、福祉

芸術や伝統文化の振興団体は、R サービス業(他に分類されないもの)

国や自治体の観光部門であれば、 S 公務(他に分類されるものを除く)

と、16業種にも渡ってしまうのである。(ちなみに残りの4業種は、C 鉱業.採石業,砂利採取業、F 電気・ガス・熱供給・水道業、Q 複合サービス事業(←協同組合など)、  T 分類不能の産業(←これは事実上分類カテゴリーとは言えない)である。)

1つにまとまるどころか、こんなにバラバラになってしまう。困ったものだ。この様な状況なので、例えば観光経済を真面目に勉強する際には「サテライト・アカウント」などの面倒くさい経済統計の仕組みを学ばなければならない羽目に陥るのである。

 

話を戻すと、語学に力を入れる学生、学芸員を目指す学生、接客技術を磨く学生...様々な学生が観光学部に入学し、様々な就職先を狙っている。どの業種にアタックするかで面接の対応も変わってこよう。面接時に説明しにくいのも仕方がない。

この問題を解決するための就活面接対策は、さすがにこのブログでは書ききれない。ケースバイケースで相談に乗るしかないであろう。

 

「業種」の話ばかりをしていて「業態」の話をするのを忘れていた。

業態は、マーケティングなど商売関係の講義(商学)で習っているだろうか。同じ業種でも、違う客層やターゲットを対象としている場合、別の業態として分類することになる。

小売業では、百貨店・スーパーマーケット・コンビニエンスストアなどの業態に分けられるし、ホテルであればシティホテル、リゾートホテル、ビジネスホテルなどに分けられる。イタリアンレストランなら、リストランテ、トラットリア、タベルナ等に分けられようか。

商売に関わる観光関連産業は、「業種」にとどまらず「業態」も多岐にわたるので、さらに複雑になってしまう。

業界に人材を送り込む大学側の事情にちょっと話を転じてみよう。実学を修め、業界に人材を送り込むスタイルが想定されるのは何も観光学部だけではない。例えば、世界で初めて日本が大学の学部として設置した工学部は、その様な学部の典型で、老舗である。

ただ、工学部ならば、学部の中が専門性に基づき細かい学科に分かれ、さらに学科内の研究室によって専門性がさらに明確になっている。工学部自体の就職先は多岐にわたるが、研究室に配属されればだいたいの就職先は確定する(文系就職でもしなければ)。

一方、観光学部は若い学部なので各ゼミの専門性・明確性が今ひとつである。教員側の専門性も今ひとつ未分化である気がする。そもそも観光学を対象に研究成果をまとめてドクターを取得した教員が、我が国には欠乏状態である。工学の研究室のように研究室ごとに専門性を高めた教育研究を実施する状況が作れないのである。いわば、ポジショニングがはっきりしているプロのサッカーが工学部、柔道部や陸上部どころか、スタンド観戦者までやっとこさ人数をかき集めて、ボールの周りにまとわりついてみんな団子のように動いている小学生のようなサッカーが観光学部なのだろう。

学問を深化させ、その研究室でどのようなスキルが修められるのか明確に提示できるように教員も努力しなければいけない。自戒を込めて。

 

参考:ツーリズム産業の範囲(日本観光振興協会作成:『数字が語る旅行業2012』p15や各種HP等に掲載されています)

(この図を見ると、観光産業に関係する業種がが非常に多岐にわたっていることが理解できる。図が見づらい場合は、画像をクリックしてください。))

図1

 

 

 

「観光学」って何をしているの?(5) 観光学は旅行業だけを対象としているのではない

本日は、

4. 「観光学=旅行業」と勘違いしている人が多い点

について解説したい。

 

このコラムでは、便宜的に、「旅行業」の範囲を「旅行代理店などの旅行業者」、「ホテル・旅館などの宿泊業者」、「キャビンアテンダントやバス・鉄道などの運輸業者」としておく。いずれも、観光関係の主要産業であることは間違いない。就職先としての人気も高い。

 

「観光業=上記の旅行業」のみであると勘違いをしている人は案外多い。しかし、観光学の範囲はそれだけにとどまらない。

実際、本学観光学部に入学してくる学生の中にも、観光学部では上記旅行業に就職するためのノウハウだけを身につける各種トレーニングを行っているものだと勘違いして入学してくる学生が少なからずいる。

大学は職業訓練校や専門学校ではないのですよ。そんなことだけをしている訳がありません。ただ、日本の観光系大学の中には専門学校に近いカリキュラムを売りにしているところもある気がするので、強く断言できないのが残念である。何はともあれ少なくとも本学観光学部ではそういうことはない。もちろん「観光」という産業領域に直結する実学学部なので、本学でもその手のトレーニングに関わる科目もいくつか用意している。しかし、大学に観光学部を設置する学問的意義は他の科目に存在するのである。それらの科目が大学で観光学を教える水準を支えているのである。

 

就活に話を移すと、観光学の前提知識をあまり持っていない就職面接官の中に、上記の勘違いをしている人は少なくない。「自分が大学で学んできた学問の内容が面接官のイメージと違う、うまく伝わらない」のは、確かに就職時のアウエイ要素となろう。そのため、学生は、就活に回る前に、そのギャップを想定して回答を用意しておくことが必要である。

 

では、学問としての「観光学」の範囲は、どこからどこまでなのであろうか。この点については実のところ観光学の研究者の中でも、現時点で明確なコンセンサスが得られているとは言いがたい。そのため、私としても「観光学の範囲は *** である」と胸を張って記述できる状況にない。

 

こういう状況にある場合は、定評のある組織や機関が「観光学」をどのように定義しているかを参照するのが常道である。ここでは、文系理系にかかわらず大学研究者の研究活動の源となっている「科研費(科学研究費補助金)」における記述に着目してみよう。

 

前回のコラムでも書いたとおり、科研費のキーワードとして「観光」という言葉を明確に掲げている常設の学問分野は農学だけである。しかし、「観光学」が農学だけで完結するはずがない。「観光学」は「教養学の実学版」であるので、幅広い学問分野が融合的に関わる必要がある。

その点について、科研費を司る科学技術行政の担当者が気づいていない訳がない。また、同時に、そうはいっても、「観光学」に関連する大半の学問分野で、「観光」というキーワードを常設できるほど学問が成熟していないことにも当然気がついている。でも、日本の将来を考えると「観光学」の深化・発展が欠かせない...

そういう状況を鑑みて、現在の科学研究費補助金制度の中では、臨時に「時限付分野」として「観光学」の項目を掲げている(平成23年度から25年度まで)。

 

「科学研究費助成事業」の「時限付分科細目表」の「観光学」の定義(内容)には、以下のとおりの記述がなされている。観光学の学生であれば、何度も熟読しておくべきであろう。皆さんの卒論も少なからず、上記の定義に貢献するものであってほしい。

 

「観光学の学問的発展は、わが国の観光立国推進の政策を学術の面から支える意味を持つ。

これまで観光に関する学術研究は、エコ・ツーリズム、グリーン・ツーリズム、ヘルス・ツーリズム、産業文化観光などのニューツーリズム、観光の経済効果、観光による地域社会・文化への影響、観光によるまちづくりと地域振興、国際観光政策、旅行者の行動・心理など、多様な観点から学際的に研究されてきた。しかし、これらの研究成果は、経営学、商学、経済学、地理学、社会学、心理学、土木工学、都市工学、建築学、環境などの各領域で広範囲にわたり学際的に研究され、各領域での研究活動としては活発化しているものの、観光学を更に学問的に発展させるためには、これらの分散した研究領域を学際融合させることが求められる。

本分野においては、観光学の独創的な展開に関わる基礎理論から各種の応用的研究、更には、観光に関わる経済社会の発展に寄与する実践的な学問的取り組みを含んだ意欲的な研究の推進を期待する。」

 

上記の定義に、常設の農学系分野を加えれば、我が国の観光学の全体像が見えてくる。「観光学」は、決して旅行業・宿泊業・運輸業のノウハウだけを学ぶ内容ではない。その様な内容はごく一部分で、観光学の対象領域が非常に幅広いことに納得頂けたであろうか。

もちろん、たった一人で上記の学問すべてに精通できる訳がない。そうではあるが、前回のコラムで書いたとおり、観光学部の学生は、自分でも最低1つ以上のディシプリンと、1つ以上の対象領域は修めておいてほしい。不得手なディシプリンや直接扱わなかった対象領域については、身近にいるその道のスペシャリストに頼るほかない。

「最低1つ以上のディシプリンと、1つ以上の対象領域は修めた人々が集まり、組織をつくる。そしてその組織力を活かした高度な観光学に基づいて、これからの日本の観光産業を推進していく。」という形をつくることが、我が国では求められている。それが実現したときに、我々は胸を張って「日本が観光立国に成功した」のだと言えるのであろう。

ちなみに上記のような組織のことを、「トランザクティブ・メモリー」が有効に働いている組織という。経営学の基本用語ですね。経営学の基本なのであるが、我が国の観光関係の行政・企業・団体・大学では、このトランザクティブ・メモリーがうまく働いていないのである。これから観光学部を卒業する皆さんには、観光学を広く見渡せるトランザクティブ・メモリーを持った組織づくりへの期待が寄せられるわけである。

 

今回の本論はここまでである。

ただ、今回のコラムでもちょっとおまけを付記しておく。

 

【おまけ】

なぜ、日本では観光学と言えば、旅行業・宿泊業・運輸業に限られるとイメージされる様になってしまったのだろうか。

 

いくつか理由は挙げられる。

 

1つ目は普通の人には「旅行」と「観光」との区別がついていない点にあろう。トラベルとツーリズムは深い関係にあるが意味が異なる。このことは、旅行・観光系で世界的にも権威のある業界団体がWorld Travel & Tourism Council(WTTC)と名乗っているからも分かるであろう。TravelとTourismは基本的に概念が異なり、併置される間柄なのである。両者の区別がつかないのであれば、旅行業=観光学と捕らえられても仕方ないであろう。

 

2つ目は、「観光」の仕事より、「旅行」の仕事のほうが身近である点にあろう。就活生であれば、会社には、直接消費者(お客様)と接する「BtoC」企業と、会社間・組織間の取引が主体で直接消費者(お客様)と接することはほとんどない「BtoB」企業が存在することは学習済みであろう。また、1つの会社の中でも部門によって、「BtoC」の職種と「BtoB」の職種が混在している。

旅行代理店のカウンター業務やホテルのコンシェルジュ、航空機のキャビンアテンダントの職務は、まさに「BtoC」の職種なので、普通の人にとってもイメージしやすくなじみ深い職業といえる。しかし、日本の観光を支える仕事には、まちづくりのスペシャリストや文化財の保存技術者、自然地域を管理するレンジャーなど多様な職種が存在する。これらの職種は「BtoC」の要素が少ないため、一般旅行者の目に触れることが少ない。「観光学」では、これらの分野の職種も視野に入れた学問を修めるように、当然カリキュラムが設計されている。しかし、その分野まで一般の人の想像が及ばないのであれば、残りの旅行業=観光業とされてしまうことも間々あるだろう。

 

最後に、我が国の民間旅行産業の発展史に着目したい。我が国の旅行関連の民間企業の歴史を振り返ると、彼らが一時期旅行業に特化(皮肉を込めて言えば「矮小化」)したビジネスモデルに走ったものの、結局現在は観光業全般を扱うように戻ろうと努力している過程がよく分かる。

ここでは具体的事例として、株式会社JTBの歴史をざくっと振り返ってみよう。JTB(グループ)は昨年(2012年)創業100周年を迎えた。ここで覚えておいてほしいのは100年前のJTBは旅行業者ではなく、総合的な観光組織であったことである。

JTBは、1912 年(明治45 年)に創業された。その名を「ジャパン・ツーリスト・ビューロー」と称していた。当初は「観光業」を幅広く視野に入れた国策組織として誕生したのである。

戦後、JTBは「ジャパン・トラベル・ビューロー」となった(厳密には戦中に「旅行社」に改称:ただ戦中は英語禁制であった)。観光(ツーリズム)を広く手がける組織から、旅行(トラベル)中心の組織に変わっていったのである。

そして、公的活動にはなじまないこともあり、JTBは、1963(昭和38) 年に営利部門である「旅行部門」を独立させて「株式会社日本交通公社」を誕生せた。現在、皆さんに馴染みのあるJTBは、この株式会社JTBである。株式会社JTBは名実ともに旅行業者(トラベル・ビューロー)になったのである。そして全国津々浦々の市町村にカウンターや看板を持つBtoCの株式会社JTBは、観光=旅行という一般イメージの定着に大きく貢献した。株式会社JTBが発足してから50年。日本人のあらゆる世代にこのイメージは広く浸透していると言って過言ではない。

観光学部の中にも知らない学生もいるかもしれないがJTBは株式会社だけではない。株式会社のJTBを分離させた親元である「財団法人JTB」は今も健在である。「財団法人JTB」は、調査・研究・コンサルティングをはじめとする公益事業を通じて観光文化の振興を担う主体として、今も観光学の中で主要な役割を担っている。就活面では、株式会社ほど採用数は多くなく、また学部卒程度の技能ではなく院卒を採用することが多い組織であるため、大学3年生で就活を行う学生には、財団法人JTBは馴染みが薄いのであるが。

閑話休題、JTBの観光的・学術的側面は、株式会社ではなく、この「財団法人JTB」に引き継がれたため、一般人にとって、観光産業の基盤となる観光学の存在が見えにくくなり、旅行業的要素がひときわ目立つようになった。

しかし、50年の間に情勢は大きく変わった。50年前の昭和の時代と違い、現在観光産業の発展のために必要だと認識されていること、言い換えれば観光産業や観光学に求められていることは、カウンターでチケットを売る効率や接客技術を高めることではない。旅行業のイメージを形作ってきたオペレーショナルな部分ではないのである。むしろ、財団法人JTBが引き継ぎ陰に隠れがちであった「幅広いディシプリンや対象領域に根ざした学術的エビデンスに基づいた観光地づくりや、観光組織の経営体系の高度化」にあろう。

そのことを、当然株式会社JTBのほうも当然自覚している。なぜならば、50年前は営利事業として十分やっていけたカウンター発の旅行販売業だけでは、利益が上がらないのは疑いもない事実だからである。50年前と同じビジネスモデルでは会社が倒産してしまう。

そのため2006(平成19)年にJTBはこれまでの「総合旅行業」という事業ドメイン(←基本用語:説明できますね)を返上し、「交流文化事業」に転換した。

交流文化事業とは「地域資源の魅力を発掘し、磨きをかけ、観光者を集客する」ための一連の事業のことと言えよう。なんと言うことはない。本来の意味での「観光業」に戻ろうとしているわけである。

そのために、株式会社JTBは、地域子会社を分社化することで地域に根ざした意思決定を速やかに行うための組織変革を行ったり、JTB総合研究所を組織改編で立ち上げて企業戦略を練り直したりと、様々な経営改革を行っているところである。

もっとも、現状ではまだまだ採算がとれなさそうな珍奇ツアーの提案を耳にしたり、出資した予算に見合わない地域振興の提案を受けてがっかりしたという自治体関係者の愚痴を聞かされたりということがままある状態である。ただ、巨人JTBがこのままで終わるわけはない。このような状況は一過的で、きっと近い将来日本の観光産業を支える業態に転換していることであろう。

その様な時代が来たときに、観光業=旅行業という一般イメージは変わっていることと信じている。