東海大学観光学部観光学科 田中伸彦ゼミ

2012年4月 田中ゼミがスタートしました。 2013年3月にホームページをアップしました。

本拠地 

〒151-8677 東京都渋谷区富ヶ谷2-28-4 東海大学観光学部 4号館3階 

TEL.03-3467-2211(代)

湘南キャンパス 〒259-1292 神奈川県平塚市北金目4-1-1 東海大学E館1階教員室1

 

TEL.

0463-58-1211 (代)

04月

「観光学」を学ぶ人のための「ネイチャー論」(その3) 国土利用計画を覚えておこう

日本の国土は管理されている。

ということは、日本の自然も管理されているということになる。どの様に管理されているのか?

前々から、観光学というのは「(企業をマネジメント=経営する)経営学」と「(場所をマネジメント=管理する)地域管理学」の二つのマネジメントの学問(領域学)に支えられた「メタ領域学」であると教えてきた。

ただし後者の地域管理学は都会から原生自然まで幅が広いので、サブカテゴライズされている。それが国土利用計画の視点である。

 

取りあえず覚えておいてほしい要点は下記の対応関係である

都市地域 - 都市計画法 - 日本都市計画学会

農業地域 - 農振法 - 農村計画学会

森林地域 - 森林法 - 日本森林学会

自然公園地域 - 自然公園法 - 日本造園学会

自然保全地域 - 自然環境保全法 - 日本造園学会

観光学で地域のマネジメントを学習するには、国土利用計画法で定められた上記5地域の概要を覚え、それに対応する5つの法律を修め、5つの地域に主として関わる4つの学会に目を光らせておく必要があるわけである。でも、実際にこの様なもの全てに目を光らせた上で、経営学も修めている人がこの日本に何人いるのだろうか。心許ない。

そのため、観光学を今学んでいる学生への期待は一層強くなる。

上記5つの法律に是非目を通すように。

OGの赤坂さん(芸名:赤早加けい さん)が地上波に初登場します

Retweeted 赤早加けい (@popnkiss0610):

今日!深夜24:45~25:10フジテレビ
「10匹のコブタちゃん」
この番組内にて POP’N KISSの「鳩、低空飛行」が紹介されます!!
みなさん!今日です!今日なんです!初の地上波進出\(^o^)
みーてーねーーーーーん★★★

 

2013年4月29日の深夜です(正確には4月30日)。

田中ゼミにとっても記念日になります。

「観光学」を学ぶ人のための「パーク論」(その3) 様々な公園

広辞苑によると我が国の公園は、広辞苑によると大きく分けて4種類。覚えただろうか。

公開された「庭園」

公開された「遊園地」

法律で定められた「都市公園」

法律で定められた「自然公園」

である。「公開されない遊園地などあるのか?」という突っ込みが入りそうだが、ないことはない。今は荒れ果てているという噂だが、故マイケルジャクソンの言えにあった遊園地「ネバーランド」は公開されていない遊園地だったと言えよう。

ちなみに上二つと下二つで分類の視点が違う。そのため、観光学として学習する内容も異なってくる。上二つは庭園や遊園地の成り立ちや歴史などを中心に学ぶ。後者は成り立ちや歴史も学ぶが法律事項を学ばなければ話にならない。

ところで、上と下とでは分類の視点が違うのであるから、当然重なる場合がある。公開された庭園や遊園地が都市公園に指定されることは珍しくない。もちろん公開されているからと行ってその庭園や遊園地が法律上の公園とは限らない。

様々な公園の分類方法を覚えておいてほしい。

 

まずは所有の観点からの違い。「営造物公園」と「地域制公園」の違いである。自分で所有している土地を自分で公園として管理する場合は営造物公園である。また、一般的には「国有」や「公有」が営造物公園の元来の原則であるが、私有の場合にも、この言葉を適用する場合も少なくない。後でも触れるが「都市公園」「国民公園」「(地方自治体が条例で定める)農村公園等」が該当する。

他人の所有地を公園として指定し、公衆の利用に供し、各種規制をかけられるようにした公園を地域制公園という。日本の場合には自然公園が該当する。ちなみにアメリカの国立公園は地域制ではなく営造物公園。イギリスは地域制公園。国によって自然公園のカテゴリーは異なっていることに留意してほしい。

 

次の区分の視点は、国有か公有かというものである。営造物公園に適用する概念である。特に、「都市公園」で国有のものを「国営公園」という。国営公園には、都府県をまたがった広域的見地から指定する「イ号公園」と、国家的記念事業で造成する「ロ号公園」に分けることができる。

 

今回の講義で覚えてほしい最後の区分の視点は、法律による区分である。日本で公園としての根拠となる法律は、冒頭に挙げた国土交通省系の「都市公園法」と、環境省系の「自然公園法」の他にあと二つある。広辞苑は全ての法規を網羅しているわけではないのである。

残りのうちの一つ目としては、「環境省設置法」に明記されている「国民公園等」がある。これは「皇居外苑」「新宿御苑」「京都御苑」「千鳥ヶ淵戦没者墓地」の4カ所である。なお「等」は千鳥ヶ淵のことを指す。また、国民公園は「園」ではなく「苑」の文字を使う。国民公園は環境省が管轄する。国立公園のレンジャーが転勤で国民公園の管理をしたりしている。

最後の類型は「地方自治法」を根拠に地方自治体が条例を作って設置する公園である。通常は農村公園などをつくる場合が多い。「都市計画区域」の外に都市公園のようなものをつくりたいときにはこの様な措置が必要になるわけである。

また今回の講義では都市公園の分類も一通り解説したが、後の講義で再び触れるので、今回は割愛する。

「観光学」を学ぶ人のための「レジャー論」(その3) 教養としてのレジャー・レクリエーション

「観光学は教養学の実学版だ」ということを、他の講義でも良く私は発言しているが、「レジャー・レクリエーション学は教養学そのものである」といえる。

「教養」を英語でいうと何になる?と問えば、大学関係者はLiberal  Artsであると答えることが多いだろう。

今は事実上、東海大学からはなくなってしまったが、昔は「教養課程」というものがあった。教養課程とは、大学1~2年の間に、専攻にとらわれず、広く深く学術の基礎を学び人間性を涵養するために設けられていた課程のことである。今でも、文理共通科目や体育系科目、語学の一部などがこの教養課程の名残として残されている。大学の学部とは本来はこの「教養」をしっかりと修める機関である。まめまめしき「専門教育」は、教養が身についたことを前提に学ぶべき学問である。何はともあれ、この大学で教える教養科目のことを一般的にLiberal  Artsという訳である。

Liberal  Artsの起源はギリシャ時代にさかのぼることが可能で、ヨーロッパ中世の大学教育では文法学、修辞学、論理学、代数、幾何、天文学、音楽の「自由7科」がLiberal  Artsを構成していた。東海大学では教養課程は廃止されたが、東京大学やICU、玉川大学などでは今でもLiberal  Artsを重視した教育カリキュラムが今でも実施されている。欧米の大学では、未だLiberal  Artsが重視されていることは忘れないでほしい。

ところで、教養という言葉を普通の和英辞典で引くと、真っ先に出てくる単語はLiberal  Artsではない。Cultureである。Cultureというと普通は「文化」という言葉が浮かぶと思うが「教養」もCultureなのである。「文化」は「教養」を素地として生まれるのである。

ところでCultureとは何か?「耕す」という意味を持つCultivateの名詞形である。畑を耕すと立派な作物が育つ。頭を耕せば立派な教養が身につき、立派な教養が身についた人々が集まれば、立派な文化が生まれるのである。学校のグラウンドのように耕されずに踏み固められた土地には立派な作物どころかペンペン草も生えない。同じように耕されずに放置された頭には立派な教養が備わる訳がない。耕された土地は雨水をしっかりと吸収するが、グラウンドに降った雨水は地面に吸収されずに外に流れ出てしまう。耕された頭は学問をしっかりと吸収するが、そうでない頭にいくら学問を授けようとしても定着せずに外に流れ出てしまう訳である。

レジャー論を学ぶ目的は、「自由時間を以下に使うか(消費するか)」というノウハウを身につけることではなく、「自由時間を如何に人間らしく生きるか」という教養を身につけることにある。そのことを忘れないでほしい。

 

ところで、教養は時代や民族によって内容にバリエーションがある。

日本人には日本人が育んだ文化をベースにした教養が、イギリス人にはイギリス人が育んだ文化をベースにした教養がある訳である。その点で、日本人の教養のベースとなる文化が、現在ブレにブレている。その大きな原因は明治以降の日本の近代化の過程に潜んでいる。

まず明治維新で、当時の日本人はそれまでの文化を否定し、廃仏毀釈に走り、江戸時代の制度を捨てた。さらに第二次世界大戦後にもそれまでの文化を否定し、国家神道を止め、戦前の制度を否定した。レジャー・レクの分野にもその余波はおよび、戦後まもなくは神道につながる祭礼や、軍国主義につながる武道などが禁止された。

その替わりに、日本人にはアメリカからきたダンスやゲーム、スポーツなどの「レクリエーション」があてがわれた。戦後暫くするトレジャーの時間も持てるようになったが、やはり伝統的な余暇生活よりも西欧化されたレジャーが推奨された。本来、レジャーは文化をベースにした教養から生まれるものである。戦後まもなくの日本のレジャー・レクリエーションは、日本の伝統的な文化に基づかない教養をベースに営まれるという得意な過程をたどったのである。

非常に特異なケースであるが、その様な状態が続いてからまもなく70年。この様な状態におかれた日本人は3世代に達している。実際アメリカから来たテーマパークやアメリカ起源のダンスなどが、カウンターカルチャーではなく堂々と日本の主流の文化として認知されつつある。この様な我が国の文化の変容をどうとらえていくのか。観光業界に携わる人間としてどの様に受け止めていけば良いのか。非常に大きく、悩ましい問題である。この問題に正解はないし、大勢の方向性も定まっていない。

これから皆さんが解決すべき大きな課題なのである。

 

 

 

「観光学」を学ぶ人のための「パーク論」(その2) 言葉の定義 公園/パークの起源 現代的役割

学問は、概念・意味・論理・説明・理由・理論・思想などを扱う「ロゴス(logos)」の世界である。 社会学(sociology)、心理学(psychology)、地質学(geology)、生物工学(biotechnology)、神学(theology)など、多くの学問の名前には、ロゴスを表す[-logy]が付いている。大学の教育・研究の多くは「ロゴス」のために存在するといっても過言ではないだろう。

ということは、パークス&リゾート論を学ぶ学生は、パークないしは公園、あるいはリゾートについて、しっかり言葉で説明できる知識と素養を身につけなければならないということになる。「言葉の定義」が何にも先駆けて必要なのである。

もちろん、完全な言葉の定義が全ての場合で可能である訳ではない。そういう場合には、論文なら論文ごとに、講義では講義ごとに「我々は**という言葉を##という意味で使っている」と定義することが学問のルールになっている。

今回の講義では、この講義における公園およびパークという言葉の定義について確認するために時間を費やす。加えて、近代的な公園、パークの定義や現代的役割についても話を進めておく。「公園(パーク)」は、人間が作り出した制度/区域/社会システムである。鉱物のようにその辺を掘れば出てくる物ではないし、植物のように勝手に生えてくるものでもない。人間の頭の中のアイデアが、現実社会に有形物として表現されているに過ぎない。公園(パーク)が人間の頭の中の物だとすれば、公園(パーク)に関わる人たちの頭の中のすりあわせが必要になる。「あの人は公園をこういう風に思っているが、この人の考えは全然ちがう」という状況では、まともな公園のマネジメントはできない。言葉の定義、つまり「概念の共有」をしておかないと、観光デスティネーションとしての公園(パーク)やリゾートの適正な活用や保全は叶わないのである。

この講義では、定評のある国語辞典『広辞苑』に記載されている下記の公園の定義にしたがって進めていく。

「公衆のために設けた庭園または遊園地。法制上は、国・地方公共団体の営造物としての公園(都市公園など)と、風致景観を維持するため一定の区域を指定し区域内で種々の規制が加えられる公園(自然公園)とがある。 (広辞苑より)」

つまり

1.公開されている庭園

2.公開さている遊園地

3.法律で定められている都市公園

4.法律で定められている自然公園

の4つについての知識や概念を学んでいく。講義に当たっては、庭園をさらに日本庭園と西洋庭園に分けて教え、遊園地の中ではテーマパーク も扱っていく。それぞれの成り立ちや歴史、法制上の位置づけ、経営上の特質などが重要となる。

実のところ、1つの講義で上記4つのカテゴリーを、一度に全て教える科目は珍しい。造園学で自然公園論や庭園論を教えたり、工学部で都市公園論が開講されていたり、社会学者がおもしろおかしくテーマパーク(といいながらなぜかディズニーだけ)を講義するような科目はあるが、全てをまたがってまとまりを持って教える科目はほとんどないのである。しかしながらである。あらゆるデスティネーションと関わる観光学では、この講義のような学び方が必要なのである。

取りあえず言葉の定義に戻ろう。

日本の公園については取りあえず広辞苑に従おう。では、公園の本家である西欧ではどの様に公園は定義されているのであろうか。

『オックスフォード 現代英英辞典』よりparkの項目を抜粋してみよう。そうすると、

名詞

1.人々が散歩をしたり、遊んだり(play)、リラックスする場所となる、街や都市における公衆地の一角

2. (成句として)ある特定の目的のために使用される大きな区域(ビジネスパーク、サイエンスパーク)

3. (英国) 通常は草原や樹林を伴い、大きなカントリーハウスに隣接する囲われた区域

4. (米語)スポーツをするための場所、特に野球場。BALLPARKを参照。

5. (イギリス英語)サッカー・ラグビー場

動詞

1.車をある区画の中に運転して入り、しばしの間、駐めておくこと。

2. ~ yourself にて  しばしの間ある場所に座ったり、立ったりしていること。

とある。原文はもちろん英語である。上記の定義を見ると、広辞苑の「公園」4つのカテゴリーよりも概念が広いことが分かっていただけるかと思う。特にビジネスパークやサイエンスパークなどの言い回しは、日本の公園にはない発想であろうと考えられる。駐車場もparkingである。それには理由がある。英国におけるparkという言葉の起源は、「(狩猟用の)囲い地」にあるということである。

parkは今のような市民の憩いや休息・娯楽の場として生まれた言葉ではない。王侯貴族がカントリーサイドの土地を囲い、そこで狩猟を愉しんだことに端を発している。以後、土地の利用法は異なっても、感覚的に似たような場所があれば、英語ではparkと呼ぶ訳である。

 

ここで、英国版広辞苑とも言えるくらいに向こうでは定評のあるTheOxford English Dictionary 2ndEdを参考に、parkという言葉の意味の変遷過程を抜粋して確認しておこう(もちろん日本語に訳しておく)。

名詞

1a. 狩猟獣を維持するため、王族の下付や命令に基づき所有されている広い面積の土地

b. 故に、意味が拡張され、レクリエーションに利用したり、しばしば鹿や牛・羊を飼育するために利用するカントリーハウスや大邸宅に隣接するあるいはそれらを取り囲む、通常樹林地や放牧地からなる広大かつ装飾された土地のことを指す。

c. その意味で、現在はよくカントリーハウスや大邸宅の名前の一部に組み込まれており、そこから郊外の地域名にも使われている。例えば、 Addington Park, Osterley Park; Clapham Park.

以上のように、英語のparkという言葉の定義ががどのように 変遷したのかがよく分かる。言葉は生き物。定義も時代とともに変遷する訳である。

 

さて、この様に定義が移り変わってきたparkであるが、現代的な「都市のpark」は、ヨーロッパの近代(19世紀)に起源を発する。イギリスを例にとると、産業革命の時代にさかのぼることができる。18世紀前半のイギリスでは、第2次囲い込み運動(エンクロージャー)により、共有地(common)の減少が都市域に及ぶ事態が発生していた。そのため、産業化による都市内の環境悪化が大きな社会問題となっていた。その解決のために、イギリスでは、1836年にエンクロージャー法は公布された。この法律が近代的な「公園法制」の始まりに大きく関わっている。

例えば、首都ロンドンでは中心地から10マイル以内にある共有地は囲い込みから除外し、保存することが法制化された。その結果、現在においてもロンドン市内にはハイドパーク、リージェントパークなど広大な狩猟地が保全され、現在の公園として残されることとなった。そして、それらの公園は、今では市民の憩いの場であることはもちろんのこと、海外からの観光客の主要なデスティネーションともなっているのである。

ちなみに、アメリカのような新世界でも都市環境の悪化は進んでいった。しかし、アメリカには貴族が所有していた広大な狩猟地などは、当然のことながら存在していなかった。そのため、アメリカ国民は市民自らの力で公園を創り出さざるを得なかった。

例えばニューヨークでは、1853年にセントラルパーク創設に繋がる法令がニューヨーク州議会を通過した。市民の力で近代的な公園を創設した訳である。その後、公園が西欧社会の近代化の装置として重要な役割を果たすことになる。当然NYセントラルパークも国際的な観光デスティネーションとして欠かせない存在である。

翻って日本には著名な観光デスティネーションとしての公園がどの程度あるだろうか。札幌の大通公園や横浜の山下公園などいくつか頭に思い浮かぶ。しかし、知名度にしても数にしても、もっとあって良いような気がする。デスティネーションとしての公園の発掘も観光業界の大きな役割の1つである。

 

長くなったので、話題を変えよう。

公園が、現代の観光学にとって重要である理由はいくつかある。

1つめは、「観光デスティネーション(目的地)」だという点である。

世界初の国立公園のイエローストーン、国際的都市公園のNYセントラルパーク、日本庭園の竜安寺石庭、テーマパークのディズニーランドなど、これら公園(パーク)は、全て現代観光になくてはならない存在である。そのため、なぜこれらが観光的に重要なのかという点を学術的に理解することが観光学部生には求められる。

2つめは、「人間の概念」に基づく点である。 この点については上述したが、公園(パーク)は自然界に自明的には存在しない。人が区域を定め、管理方法を決定し、利用規制等を行って初めて成立するのである。観光学の学生はそのプロセスを理解し、概念の伝承し、上手に活用するというスキルが求められるのである。従って、観光学の教育に公園(パーク)教育が必要となるのである。

3つめは、「対象となる実態が幅広い」点である。 原生自然と対峙する自然公園から、人工コンセプトを徹底的に追求するテーマパークまで幅が広い。観光学の学生はこの様に幅の広いパークに、それぞれ向き合って、各パークの本質を理解し、活用せねばならないのである。下手な活用は、自然破壊につながるか、経営破壊につながる。観光学では、2つのマネジメント、地域を支える「場所の管理」と、産業を支える「企業の経営」の2つが車の両輪となっていることは、何度も繰り返して学生に説明している。まともに学問を修めなかった人が、どちらかの車輪をダメにするのである。ちなみにリゾート法の時代には両方一度にダメにした業界人が続出した。そしてそのセンスを引きずっている人が、未だ現役で観光業界に残っている。恐ろしいことである。

加えていえば、公園に期待される機能は観光的な要素に限らない。「環境保全機能」や「生物多様性保全機能」「防災機能」 「レクリエーション機能」「都市景観構成機能」 「歴史文化保全機能」など様々な自然・文化的要素が関わってくる。

観光関係者はこれら機能も十分理解した上で、どの様に観光に公園を活用していくべきなのかを日々模索していかなければならないのである。

科研費・出版助成(分担執筆分)が採択されました(4月18日発信)

JSPSに申請していた出版助成「森林の協治が示す新たな社会像」(東大出版会、英語)が採択されました。

東京大学が主査で応募していたもので、私も分担執筆者に名を連ねているものです。現在、科研の研究課題としては継続課題を抱えているため、25年度に主査で応募した案件はなかったのですが、分担でも当たの知らせは、やはりうれしいものです。

審査区分は「広領域」(審査希望分野:人文地理学・文化人類学/社会学/農学)でした。

東海大学交友会誌『TOKAI』で田中ゼミが紹介されました(2013年4月1日発行)

2013年4月1日付けで発行された交友会誌『TOKAI』Vol.170の15ページで、田中ゼミが紹介されました。

「余暇、環境、経営など幅広い視点から観光資源のマネジメントを考える」というタイトルで、ゼミ長の間瀬菜々美さんや、昨年の「日本レジャー・レクリエーション学会全国大会(於:上智大学)」でポスター発表をしてくれた佐々木雅文さんのインタビュー記事も掲載されています。

他のゼミ生の解析風景の写真も載っています。

限られたページの中で非常にわかりやすくコンパクトにゼミの内容が紹介されており、編集者の皆様には本当に感謝申し上げます。

「観光学」を学ぶ人のための「ネイチャー論」(その2) 観光学部出身者の「立ち位置」・言葉の定義

本学観光学部は私立文系に位置づけられる。本来、大学に「文系」「理系」という変な垣根を作って、「文系は自然科学の知識に疎くて良い」と涼しい顔ができる日本の学業のシステム自体がとても妙で嫌なのであるが、それが現実。現実を受け止めた上で講義を組み立てなければならない。

実際本学部で開講している自然系の講義は限られている。あなた方のうち、例えば自然公園や都市公園などの「公園管理者」になりたいとか、「ネイチャーガイド」になりたい、「リゾートホテル」や「地方自治体」などで自然地域の観光やまちづくり、地域おこしの職に就きたいなどと考えている人は、学部開講講義だけでは十分とは言えない。なるべく早く、オフィスアワーなどの時間に相談に来てほしい。自然に関わる職業につくには、そのために必要な専門的「職能」と、その専門的職能を活かすために「観光学側として身につけておくと良い知識や資格」がある。個別に内容が違ってくるので可能な限りアドバイスしたいと思う。

また、大学で提供する講義内容はベーシックなものに留まるので、発展分野や実践分野としては、是非外部の各種制度も活用してほしい。今回は比較的信頼の置ける2機関の取り組みをHPのURLとともに紹介する。

 

一つ目は、信州大学の取り組みである。

信州大学農学部の付属施設AFC(アルプス圏フィールド科学教育研究センター)は、山岳地域の観光レクリエーション、エコ/グリーンツーリズム、自然保護などに関わる各種実習プログラム(夏休みや春休みに開講)を、外部の大学生にも公開している。HPのアドレスは
http://www.shinshu-u.ac.jp/faculty/agriculture/institutes/afc/

である。観光はそもそも文理融合。農学や工学系にも観光の研究部門があって、彼らは自然に対する本格的な学習を続けています。様々な学部の日本中の大学生が集まるこのプログラムに出席すると、専門性が深まるとともに、自分の観光学部学生としての立ち位置が深まること請け合いである。

二つ目は、損保ジャパンのCSOラーニング制度である。この制度は大学生・大学院生に、環境分野のCSO(市民社会組織、NPO・NGOを包含する概念)でインターンシップを経験してもらう制度である。インターンを通して、環境問題や市民社会のあり方などについて考え、より視野の広い社会人になっていただくことを目指している。この制度に参加するインターン生には、1時間あたり800円が奨学金として支給されることも魅力的である。自分のスキルアップをしながら生活費も手に入る。残念ながら本学では単位認定はしていないが、それと引き替えに奨学金が手に入ることは魅力であろう。詳細は下記URLを参照のこと。今年度の東京地区の説明会は4月30日にあるそうである。

http://www.sjef.org/internship/

 

何はともあれ、観光従事者は自然を取り巻く人の「かすがい」になってほしい。

自然地域には、「地域の主」みたいな人がいっぱいいる。素晴らしい人材が数多くいる。しかしよく表現すれば個性的、悪く表現すれば「山オタク」「昆虫マニア」「アウトドアスポーツ馬鹿」「自然保護妄信者」「無頓着な開発業者」のような偏った人間がうようよしている。しかも、人口の少ない自然地域でこれらの人々が縦割りに活動している。観光とは、「地域の光を観る」ことをサポートする産業である。観光学部の学生には是非これらの人材のかすがいとなるような役回りを演じてほしい。観光立国が目指している「すんでよし、訪れてよし」の持続可能な地域づくりを行うには、これら個性的な人材を活用しながら特定の話題に固執せずにいられる「一歩引いた自然の見方」を身につけることが何にもまして大切である。

そのためには、何はともあれまずは、「言葉の定義」を確認しておこう。大学の学問では定義された言葉をベースに議論することがルールである。本日は、「自然」とは何か、一般的な言葉の定義を確認しておきたい。

「自然(しぜん)」という言葉は、近代に入ってから使われるようになった言葉である。英語のNatureに対応する言葉として使われるようになった言葉である。そのため、本講義では「自然」ではなく元々の「ネイチャー」という言葉を採用した。なお、近代以前にも「自然(じねん)」という言葉はあった。野生の山芋「自然薯(ジネンジョ)」などでおなじみの言葉である。

 

さて、自然という言葉の定義であるが、著名な辞書『広辞苑』には下記のとおり書いてある。これらの意味合いを、今後の講義展開の前提として是非覚えておいてほしい。

①(ジネンとも)おのずからそうなっているさま。天然のままで人為の加わらないさま。あるがままのさま。(「ひとりで(に)」の意で副詞的にも用いる)枕草子(267)「-に宮仕え所にも、(以下略)」。「ーそうなる」

②ァ〔哲〕(physisギリシャ・naturaラテン・natureイギリス・フランス)人工・人為になったものとしての文化に対し、人力によって変更・形成・規整されることなく、おのずからなる生成・展開によって成りいでた状態。超自然や恩寵に対して言う場合もある。

②ィ おのずからなる生成・展開を惹起させる本具の力としての、ものの性(たち)。本性本質。太平記(2)「物相感ずること皆 ー なれば」

ゥ 山川・草木・海など、人類がそこで生れ、生活してきた場。特に、人が自分たちの生活の便宜からの改造の手を加えていない物。また、人類の力を越えた力を示す森羅万象。「 ー 破壊」「 ー の猛威」「 ー の摂理に従って生きる」

②ェ 精神に対し、外的経験の対象の総体。すなわち、物質界とその諸現象。

ォ 歴史に対し、普遍性・反復性・法則性・必然性の立場から見た世界。

カ 自由・当為に対し、因果的必然の世界。

③人の力では予測できないこと

ァ 万一。平家物語(7)「 ー の事候はば。」

ィ (副詞として)もし。ひょっとして。伽、一寸法師「 ー 舟なくては如何あるべきとて」

 

また、本講義では養老孟司さんの自然に関する定義を紹介しておきたい。

養老孟司は自然について、「自然的発想」と「都市的発想」とを対置して考えている。そして、都市と自然を、場所や物ではなく、「考え方」で定義している点がユニークであると言える。

端的に言ってしまえば、

•「ああすれば、こうなる」の考えですますことができるのが都市的発想。

•「ああすれば、こうなる」ではどうにもならないものが自然的発想。

•その両者をつなぐのが「手入れ」という考え方。
と表現できる。この内容について理解するためには、是非、養老孟司(2002)『手入れ文化と日本』白日社. 282ページを参照されたい。大学の講義は90分の講義に加え、それと同じだけの自宅学習が必要になる。ここで紹介する図書や論文は、自宅学習のための参考書である。これらの参考書を読まずに、何年後科の就活を目の前にしてから相談されても、ありきたりのアドバイスしかできないので、ご容赦願いたい。

 

「観光学」を学ぶ人のための「レジャー論」(その2) 大学の観光学でレジャー・レクリエーション論を学ぶ意義

観光学で、なぜレジャー・レクリエーション論を開講するのだろうか?

理由を簡単に言ってしまえば、例えば、多くの人に満足のいく旅行を提供するためである。でも、ところで、どうすれば満足のいく旅行を提供できるのであろうか? 観光学部の学生として何を身につければ満足のいく旅行の提供者になれるのであろうか。答えは一筋縄ではいかない。

 

第一に、「旅行業務取扱管理者」など旅行に関する実務知識を身につけることが大切であろう。複雑な旅程管理を任せられる信頼のあるパートナーがいれば、旅行者は心強い。現地の添乗員に語学が達者な人がいるのも頼もしい。英語はもとより、もう一つぐらい日常会話ができる言語を習得しておくことは、とてもよいアドバンテージになる。礼儀作法やホスピタリティを心がけることも大切である。他人を不快にさせないことは何にも増して重要なサービス産業の基本である。これらのことは観光学部の学生にも学んで欲しい。大学在学中に上の3つすべてをこなせるようになった学生は、実際の所、就職戦線でも結構引く手あまたになるのではないかと思う。

ただ、意地悪なことを言えば、上記の3つとも特に大学で教えなければいけないというようなものでもない。実務知識も、語学も、礼儀作法も専門学校においても似たようなカリキュラムがある。大学にせっかく来たのだからプラスアルファを学ぶと格好いい。

まずは、観光学部であるから観光学の枠組みを押さえることをお勧めする。観光学は「メタ領域学」である。メタ領域学とは複数の領域学から構成される学問のことである。領域学が2階の学問であるとすれば、観光学は3階の学問である。

では、2階には何があるか。キーワードは「マネジメント」である。マネジメントには2種類ある。1つ目は観光を扱う企業や団体をどうマネジメントするのかという学問である。「経営学」のことである。この場合のマネジメントは「経営」と訳されることが多い。観光学は産業を扱う学問である。産業でお金を稼ぐ企業が効率よく動くにはどうすれば良いのか、企業のドメインを定め、戦略を組み、それに合わせて組織をつくる、そのノウハウを科学的に追求する「経営学」の知識がしっかりしていなければ3階の観光学は不安定になってしまう。

2つ目のマネジメントは観光で赴く場所をどうマネジメントするのかという学問である。この場合のマネジメントは「管理」と訳されることが多い。このマネジメントに対応するのは「地域管理学」なのであるが、地域管理学は現在では細分化されて各々独立した学問となっている。都市域は「都市計画学」、農村は「農村計画学」、林地は「森林学」、自然公園地域と自然保全地域は「造園学」が、代表選手といったところか。

いずれにせよ3階の「観光学」を安定して修めるためには、「経営学」と「地域管理学」という2階の2つの学問の基礎もしっかり修めなければならない訳である。

ところで「経営学」と「地域管理学」は2階の学問である。2階と3階だけでは空中の楼閣になってしまう。地に足が付いていない。「天空の城ラピュタ」のようでかっこいいかもしれないが、地に足の付かないままに言動を繰り返していると、学問の世界からは仲間はずれにされてしまう。実務出身の教員が数年して昔の経験談が色あせてきたときに陥る「燃え尽き症候群」の原因はここにある。

閑話休題。1階部分の学問が必要なのである。それらはいわゆる「ディシプリン」とよばれている学問である。観光学に関わりの深いディシプリンには「心理学」「社会学」「経済学」などの文系学問や「生態学」「地学」などの理系学問がある。文系理系にまたがって、幅広い学問のディシプリンを観光学部の学生は習得しなければならないのである。私が「観光学」のことを教養学の実学版だと常日頃主張している理由はここにある。観光学は「たこつぼ研究」に逃げられないのである。(間違って観光学の世界に足を踏み入れ、学問の幅の広さに恐れおののき、元いた自分の学問にしがみつく「たこつぼさん」になってしまう研究出身の教員はたくさんいるが...またまた閑話休題)。皆さんは観光学部に入学してしまったのだから、心を引き締めて、半ば諦めて、この幅広い教養に裏打ちされた観光学の大海を泳ぎ回って欲しい。

さて、「1階から3階まで揃った。もう家としては十分だ。」と思った方はちょっと考えて欲しい。家には基礎(土台)が必要であることを忘れてはいませんか。もちろん縄文式竪穴住居のように土台のない家はこの世に存在する。でも、その様な家が3階建ての家を支えられるわけがない。メタ領域学である観光学を支えるには1階の、その下の基礎(土台)をしっかりと構築しなければならない。その基礎に当たるものは思想や哲学、言い換えれば形而上学に当たるものであり、レジャー論はそれに相当する。

「自由時間をいかに人間らしく生きるか」を考える学問がレジャー論である。企業のマネジメントをするにせよ、場所のマネジメントをするにせよ、その基礎(土台)として「充実した人生を送っている人間の存在」が前提となる。不幸せな人間が金に任せて世界各国を飛び回っている姿は想像したくない。せっかく観光を推進するのであれば、幸せなかたちで推進することが基本であろう。その土台を支えるのがレジャー・レクリエーション学である。

実のところ、レジャー・レクリエーション学ではなす内容は、君たち二十歳前後の若者よりも、企業の管理職など中高年の人たちの方に受けが良い。まだまだ頭が身軽な若者は少々土台が緩んでいても何とかなってしまうのであるが、責任が重くのしかかる中高年の管理職になると、土台の打ち直しを真剣に考えるのである。

悪いことは言わないので、せっかく観光学部に入ったのであるから、今のうちに基礎(土台)をしっかりと造っておくことを進める。後々楽になること請け合いである。

 

3階の観光学を支えるため、「2階の2つの領域学をしっかり修めること」、「1階のディシプリンを修めること」は、専門学校ではなかなかできない大学ならではの観光学のカリキュラムである。そこに強固なレジャー論という土台を加えて欲しい。世界を股にかけて働きたいと思っているあなた。レジャー論は欧米の観光学の人の間では決してマイナーな科目ではありません。世界に与するためにも、是非とも二十歳前後のうちにレジャー論を修めて、確固たる土台を築いてください。。

環境省環境総合プロ「里山イニシアチブ」の報告書が刊行されました(2013年4月15日発信)

環境省環境総合推進費終了研究成果報告書「里山イニシアティブに資する森林生態系サービスの総合評価手法に関する研究(E-081)」が刊行されました。

プロジェクトの成果報告書ということであまり一般には流通しない報告書ですが、興味のある方はご一報下さい。

国会図書館には収蔵されるようです。